真昼間。
そう、今は真昼間な筈なのだが。
「・・・・・・・・」
目の前の景色を見渡す。
それからおもむろに呟く。
「・・・・何やってんのよ・・・」

畳み幾畳分もの広い座敷には、あちこちに酒瓶やら皿やらが転がっていた。
それから一番面積を占めているのが、累々と並んだ死屍。
黒い法衣姿の男達が、所狭しとばかりに横たわっていた。
敷居の側で突っ立ったままのサチは昨夜の記憶を端から辿る。
『今日は飲み比べ対決を―――』
夕食の後何か誰かがそんな事を言ってたのが聞こえたような。
昨日は疲れてたから早めに休んで。
それから今朝4時に起きて牛乳配達のバイトに行って、そのまま所用で隣町の檀家さんの所まで足を伸ばした。
で、今帰ってきた訳だが。
「・・・・・・・・」
何。
この屍共は。
どこからともなく微かに呻き声が聞こえてくる。
サチの顔には怒りをとうに通り越し、どこか呆然とした表情が浮かんでいた。
組員達の頭痛がうつったかのように眉間を押さえる。
「・・・・・・・・何やってんのよ・・・・・・」
先程言った台詞をもう一度繰り返した。




とりあえず障子と窓を開けにかかる。
何しろ空気が悪くてこの部屋にいるだけで気分が悪くなる。
ひとまず空気の入れ替えをしないと余計身体に障りそうだ。
窓を開けると風が流れ込んできて、新鮮な空気に思わずほっとする。
どこもかしこも全開にする。風が多少あるようだし、すぐ空気は良くなるだろう。
次に部屋を出て、薄い掛け布団を抱えて戻ってくる。
このところ暑くて今も結構な温度な筈だけれど、さすがにこのままで寝かせておく訳にはいかない。夏の風邪は質が悪い。
一人ずつ順にそっと掛けていく。
何往復かしてやっと全員に掛け終わった。
それから散らかされた部屋をさっさと片付けてゆく。
散らかした人間に片付けさせようにも当の本人達はこの状態だ。
一旦持てる分だけの食器を抱え台所に向かう。
戻ってきたサチの手には盆に載ったいくつかのグラスと水差しがあった。
それを開け放たれた廊下に置いて、また部屋の片付けにかかる。
しばらく作業を続けていると、部屋の隅の方から唸り声が聞こえた。
「き・・・きもちわるぅ・・・」
ぱっと廊下の方に行って、グラスの一つに水を注ぐ。
それを持って声を出した組員の側に行く。
「大丈夫ですか?お水いります?」
「す・・・すんません・・・・」
青い顔の組員はなんとか頭だけを持ち上げて水を飲むと、ごつりと頭が落ちて再び眠りに落ちた。
頭大丈夫かな、とやや眉を寄せながらコップを盆に戻しに行く。
数十分してやっと片付けが終了した。
その間何人かの組員が似たり寄ったりの態で起きてきたが、とりあえず今の所目を覚ましそうな人間はいない。
さて、どうしようかな、と部屋を見回す。
ふと窓の外の景色が目に入る。
ちょっとそれを眺めた後、窓に近付いて遠くに視線を遣った。
「・・・夕立が来るかな・・?」
日が差して晴れ渡っているのだが、向こうの空に黒い雲が見えるのだ。
足元の男達がこの状態では洗濯などしている筈がない。
だが自分が今朝出る前に干したものはそのままだ。
サチはちょっと考えた後、踵を返した。




「よかった乾いてて」
まだ時間は早いものの日差しは強く、洗濯物はとうに乾いていたようだった。
洗濯籠を板敷きに置く。未だ組員達がひしめき合っている部屋の廊下だ。
廊下に隣接する敷居を真ん中で立ち割った柱の側に座る。
水差し等が載った盆もその近くに置いたままだ。
籠の中から白い布を引っ張り出す。
掴み出したのは真新しいシーツだった。
それをちょっと見て、横の部屋を見る。
「・・・・・・やっと出番、だね」
籠の中には布団のカバー類が山積みになっていた。どれも真新しい。
何でいつ貰ったものだったか、久しく押入れの奥底にしまったままだったもの。
「一気に大所帯になっちゃったもんなあ・・・」
以前は育ての祖父と二人だけの生活だった。
それが今や。
「こんなに騒がしくなるとはね・・・・」
畳の上を見渡して一つ溜息。
苦笑を浮かべて。




「・・・コマ?どうかしたかい?」
横で丸くなっていた飼い犬が、突然顔を上げたのだ。
そのままある方向を向いて、じっとしている。
「?」
コマが縁台からぴょんと飛び降りた。地に立ってまた同じ方向を見つめている。長い尾がゆらゆら揺れていた。
その様子を見てセンジュも腰を上げる。
コマの見ている方を見遣る。それからいくらも経たずに、少し目を見開かせた。
「・・・何か、聞こえる・・?」
音。
耳を澄ますと、微かにそれが捉えられる。砂利を踏む音があまり立たないよう、そちらの方に歩を進める。
「・・・歌?」
だんだんはっきりとしてくる音階。
大きさはごく控えめだけれど、それが確かに綺麗な旋律だと充分に分かった。
壁の一角まで来て、向こう側をひょいと首だけ覗き込んだ。
「・・・・・サッちゃん?」
それを奏でていたのは、紛れも無い彼女だった。
真っ白な布を畳みながら、ゆったりした旋律を口ずさんでいた。
何故だか―――はっとしたような感じにさせられて、時の間その姿を見つめる。
つと我に返ったのは、下からコマの小さな鳴き声が聞こえてきた時だった。
「・・・・あ」
飼い犬に目を遣って、それから彼女に視線を戻す。
「・・・・・・・れ、」
今しがたの自分の様子に気付いて、さっと顔に朱が降りた。
そんな己の状態に一人疑問符を浮かべながら、また耳を澄ませる。
コマが見上げてきているのに気付いて、立てた人差し指を口に当てた。
もう一度彼女の方を見遣ってから、首を引っ込める。
そのまま壁を背にして、その場に腰を降ろした。
丁度大きな松が影をつくっている。コマも飼い主に倣って横にうずくまった。
その頭を柔らかに撫でながら、小さく声を掛けた。
「・・・綺麗だねえ」
透き通った声。
涼やかだけど、暖かいような。
矛盾してるなあ、と自分でも苦笑するような表現。
でもそう思うのだから仕方が無い。
いつだったか、前にも彼女が歌を口ずさんでいるのを聞いた事があった。
上手だね、とその背に声を掛けたら、驚いた顔で振り向いてきた。
どうやらいつの間にか目を覚ましていた自分に気付いていなかったようで、そこで歌うのを止めてしまった。
え、やめちゃうのと言うと、言下に『当たり前よ』と返ってきた。
続きが聴きたいという要望は、『嫌』というにべも無い単語に一蹴された。
「上手なのにねー」
横のコマにそう呟く。コマは目を閉じて気持ち良さそうにじっとしていた。
ただこの言葉はどうも当の本人には逆効果なようで。
これを言うと余計に堅く拒否してくるのだ。
「・・・・恥ずかしがりー」
素直な彼女の実に素直な反応。
あの時の背けられた赤い顔を思い出して、知らず笑みが漏れる。
だから今回は、ここでこっそり聴いておく事にする。
今出て行ったら確実にこの歌は止められてしまうから。
・・・そういえば。
思い返してふと気付く。
あの時コマは彼女の横にいて、尾を揺らしていたような。
「・・コマ、今までサッちゃんが歌うの普通に聴いた事ある?」
すると飼い犬は、クーンと笑ったような声を出した。当然、という顔。
「・・・・・・ずるいよコマ」
思わずやや非難をこめた目を向ける。
何でコマが良くて僕はダメなんだよ。
口を尖らせた後、板壁に背を預けた。
まあいいや、今日はここで聴かせてもらうから。
止まない音に満足して、目を閉じる。
何の歌だろう。柔らかな。
まるで――――――― 子守唄のような。




「・・・・・・・・」
今日何度目になるだろうか。
呆れた目線をつくるのは。
傍らのコマが尻尾を振ってこちらを見上げている。
「・・・・何してんのよ」
確かこれも先に同じセリフを出したような。
しかし今目の先にいるのは酔いつぶれた組員達ではない。
「何でこんな所で寝てんの・・・?」
サチが見下ろすセンジュは壁に凭れ掛かるようにして木陰に座り込んでいた。
うつむけ気味の頭の方から、規則正しい寝息が微かに聞こえてくる。
しかし何で本当にこんな所で。
確か朝一緒についてきてくれたジゾウ君から、どこかまでコマとランニングに行くとか言っていた、と聞いた。
――――で、何で?
洗濯物を畳み終わった頃。庭に視線をやると、向こうからひょっこりとコマが歩いてくるのが見えたのだ。
「あ、コマちゃん」
一旦手を掛けた洗濯籠を置いて、庭に下りる。
屈んで撫でると、コマは気持ち良さそうに目を瞑った。
「あれ?コマちゃん、センジュ君と一緒じゃなかったっけ?」
そう言うと、コマは庭の端の方を向いて軽く鳴いた。
「・・・?」
訝しさをそのままにそちらの方に行ってみると。
「・・・・・・・・・」
この有様。
「・・・どうしたものかしら・・」
部屋でも縁の上でもなく、何故わざわざこのような所で。
普段から訳の分からない人間、いや仏ではあるがやっぱり訳が分からない。
見つけた瞬間軽く声を上げそうになって、慌てて口を押さえた。あの時そうしないでそこで起こしておけば良かったかもしれない。
こんな庭の隅で寝かしておくのもどうかと思うのだが、とても気持ち良さそうに眠っているのが分かるので、揺り起こすのが忍びなくなってしまったのだ。
はあと溜息を吐いて身を屈める。
「コマちゃん・・・この御主人をどうしたものかしら」
小さくそう言うと、横からクーンという声が返ってきた。
苦笑して身体を撫でてやる。その身体は石のはずなのだが、毛並みの感触は確かに心地よかった。
ふと彼の青い髪が目に入った。
ちょっとそれを見つめてから、上を見上げる。
夏らしい雲の塊は所々に散らばっていたが、それが空の色を引き立てていた。
「・・・・あ、」
やがてポツリと呟いた。そうだ。
「夕立がくるかもしれないんだった・・」
どうしよう。やっぱり起こすべきか。
視線を正面に戻す。目の前の彼は変わらず眠りに落ちたままで。
時の間考えを巡らせて、それからやおら片腕を上げた。
そっと彼の頭の上に手を置く。
「・・・・やっぱり、疲れてるよねえ」
起こしてしまわぬよう、柔らかく髪を撫でる。
空色の髪。今自分を見下ろす空のような。
わずかに口を開く。
だが―――それに何も上せぬまま閉じた。
膝に手を置いて立ち上がる。
そのまま元いた縁先に歩いていくのをコマが目で追った。
いくらもしないうちにサチは戻ってきた。廊下の洗濯物類は綺麗に片付けられていた。
相変わらず変わらぬ格好のセンジュに一つ溜息をついた後、すぐ横にすとんと腰を降ろした。
センジュを挟み反対側に落ち着いていたコマを覗き込んで、どこか困ったような表情を混ぜた、しかし笑いを小さく投げた。
結局起こす事が出来ずに。
だからと言って放っておくのもどうかと思い。
「・・・・まあいっか」
肌に一粒でも落ちるのを感じたら横の身体を揺らせばいい。
まだ上の空は青いのだから。
背を後壁に預けて、斜めに上を見遣る。まばらな雲は小さいながらも確かな厚みを帯びていて、描いたようにくっきりと線を浮かばせていた。
見上げた景色はどの色も鮮明に入ってきて、確かに感じた眩しさに瞼を下ろした。
やがてその口から、一つ、音。
次いでゆっくり、別の音。
また一つ、一つ。
途切れ途切れに零れるように漏れ出したそれが、次第に一つの流れになった。
小さく、静かに。しかしたおやかな調べ。
何という歌なのか、自分でも知らない。
祖父や近所の誰かが歌っていたのかもしれない、そうでないかもしれない。ただいつからか自分の口から紡がれるようになっていただけ。
ただ。
綺麗な歌だな、と思う。
ゆるやかな音の波。
寄せる、返す、
寄せる。

と、横で。
未だ夢の中の筈だった人間の両目が細く開けられた。
「・・・・・・・」
・・・・何をしてるんだ、自分は。
止まぬ音を耳に受けながら考える。
こんなつもりではなかったのだが。
寝ていたのは本当だ。
ただ最初彼女が横に立ったあたりで、実は目が覚めた。
そこで普通にこの瞼を起こしておけば良かったのだが。
――――起こさなかった。
結果、こうなっている。
何故そうしたのか、当初盗み聴いていたという少なからずの疚しさからか。
何にしろ機会を失ってしまった形になってしまって・・・今に至る。
どうしたものかと思っていると、突然自分の顔の前にすっと影が入った。
横のコマが顔を覗き込むようにしていたのだ。わずかに目を見開く。
するとどこか笑ったように小さく喉を鳴らした。
それにややきょとんとした後、じわり、と口元に笑いが上ってくる感覚。
―――ばつの悪い、笑み。
それをどうにか噛み殺す。
・・・・・まあ、いいか。
折角だから。
――――もう少し。
最初よりもとても近くなった音。それから、それを調べる人。
知らず今日一番の満足感を抱きながら、耳を澄ます。
思い出したかのように流れてくる風。葉の擦れる気配。陰を受けた土の冷たさ。綺麗な綺麗な旋律。
それから。
――――再び瞼を下ろす。

上空は、まだ青い。




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書いてる間ひたすら語彙が欲しい語彙が欲しいと呪文を唱えてました。切実にプリーズ。_| ̄|○


ブラウザバックお願いしまっす。







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