白色が多くを占める小さな体躯が、ぽぉん、と空に飛び上がった。



「うわっ」
センジュの胸めがけて飛びついたコマがぼすりと納まる。
勢いの良さに体勢を崩しながらもどうにか受け止め得た飼い主がごちる。
「コーマー危ないよー」
だが非難する台詞を出しながらその顔は笑っている。
それを見ていたサチが溜息を吐く。しかしこちらも苦笑を浮かべていた。
「コマはほんとにセンジュ君に懐いてるわね」
センジュが縁台のサチを振り返る。
サチは金属製の杯をことりと置いた。
「うん、僕もコマの事大好きだよ」
サチの目は続けて取り上げた燭台に向いていたが、庭に立ったその人の顔がにこにことしているだろう事は見ずとも分かった。
柔らかい布で丁寧に拭ってゆく。磨いた所に照り返す光が眩しくて少し目を細める。
所々に浮かぶ雲に少し前迄の冬の空高さは感じられず、降り注ぐ陽光はどこまでも暖かい。もう芽吹きの季節に移り変わろうとしているのだ。
「へへー。でも」
センジュが少し屈んで両腕を緩める。
ぱっと飛び降りたコマが一目散に駆け出した。
「ん?――へ!?ちょっ!?」
顔を上げたサチがぎょっとする。先程見た光景が今度は自分に向かっていた。
「きゃっ!」
次の瞬間にはコマが飛び込んでいた。縁先に座していたサチは思い切り後ろに倒れこんだ。
しかしその腕はしっかりコマを支えている。思わず放り出した燭台が受け皿の丸い縁に沿いからりと円を描いて転がった。
「・・・・コマちゃん・・・」
頭を打たなくて良かったと思いつつ、ちょっと恨めしげに呟く。
だが体の上の狛犬は嬉しそうに息を切らしている。それを見上げながらどうしたって自分の顔が緩むのが分かった。
「ほら、コマもサッちゃんが大好きだって」
いつの間にか縁台に歩み寄ったセンジュがくくと笑う。
それにやや頬を膨らませながら肩肘をついて身を起こした。
その顔をざらりとした感触がくすぐる。
「コマちゃんくすぐったいってば」
寄せられる舌の感触に笑みを零しながら小さな背を撫でる。流れる毛並みは日の光を吸って一層温かい。
「ふふ、ありがとう。あたしもコマちゃん好きよ」
頭を柔らかく撫でてやってからサチは抱き上げたコマをセンジュに渡した。
板床に1m程の広げられた布。上に幾つもの仏具が置かれている。
サチが正座を正して放った燭台に手を伸ばすのを見ながら、延べられた布を挟んで反対側に腰掛けた。
センジュが上を見上げると丁度太陽に小さな雲が掛かるのが見えた。しかし雲はさほど薄いようには見えないのに降る光は強いまま。
「あ、おじいちゃんが檀家さんから貰って来たお菓子取って置いたからって」
サチがふと思い出して言うと、センジュは目に見えてぱあっとした表情を見せた。
「やった!和尚さん大好き!」
「ジゾウ君にもちゃんとお礼言っときなさいよ」
食い扶持が増えたこの寺では食べ物、ましてや菓子等は一瞬で消える存在だ。
あそこの檀家は和菓子屋を営んでおり、寄せてもらった折にはいつも何かしらの手土産を持たせてくれる。
センジュが今朝ジゾウ君に取っといてくれと泣きついていたのは泣きつかれていた者も傍で見ていた者も呆れるほか無かったが、彼はちゃんと祖父に言付けておいてくれたのだろう。
と言うかそんなに欲しければ着いて行けば良かったのに。
たまたま重なってサチが別の用事に赴く事になり、ジゾウは祖父に、センジュはサチに着いて来てくれたのだ。
別にわざわざ頼まずとも普通に祖父の方に着いて行けば済むものを・・・
「うんジゾウ君も大好きだよ!石頭とか重すぎな所とか無ければ!」
どうしようもない事且つ酷い事を含んだ台詞をさらりと笑顔で投げられて、当人にそのまま伝えるべきかどうかサチが本気で逡巡する。
「あーマイク箕浦さんも大好きだよ!昨日お煎餅分けてくれたー」
あんたの基準はお菓子か!!
心中サチが突っ込む。センジュは足をぶらぶらと揺らしながらにへらと笑っている。
はぁと息を吐いて視線を手に戻す。燭台を逆手に持つと付着した黒ずみが目に入って眉を寄せる。
「それにサ――――」
言いかけて言葉が切れた。
突然声を途切れさせたセンジュにサチが再び顔を上げる。
「・・何?」
サチが訝しんで聞く。
センジュは答えず、ゆるりと首を傾げて止まった。

この記号を頭の上に浮かべたのは、両者共。

はて。

特にセンジュは思い切り疑問符を浮かべていた。

「          」

続けて言葉を言おうとしたのだが。
言おうとしたのだが―――したの、だが。
何故だか途中で口が固まってしまった。
再び動かそうと試みるが、やはり動かない。
口の片端を引っ張って反対側に首を捻る。はて?

そんなセンジュの様子を見てサチはますます眉を寄せる。やや斜めの前方に位置した彼に再度呼びかけるが反応なし。
何なの?
突如止まってしまったセンジュにこちらも首を傾げている。
・・・・もういいや、ほっとこう。
とサチが投げ出した瞬間、
「サッちゃん、コマの事好き?」
「はっ?」
いきなりくるっと振り向いてセンジュが問うた。
「へ?」
「だから、コマの事好き?」
何なの?
「・・・何なの?」
サチは思った事をそのまま口に出した。突如動き始めたと思ったら何なんだいきなり。
だからコマ。と愛犬を抱えた両手をずいと突き出してきた。全く答えになっていない。
「・・あー、うん、好きよ。さっき言ったじゃない」
訳が分からぬままとりあえず答える。
「じゃあ和尚さんの事好き?」
「はぁ!?」
何なの本当に!?
思いっ切り怪訝な顔を向けるも空しく、センジュは同じ台詞を繰り返す。
何なのよ・・・
「・・そりゃ好きよ!好きに決まってるじゃない!」
決まっている。紛う事無いおじいちゃん子のサチなのだから。
「じゃあジゾウ君は?」
「・・・ええまぁ、好きよ」
石頭云々は関係なく、と付け足す。
「じゃあマイク箕浦さんは?」
「・・・・・まあ色々あったけど、うん好きよ」
そういえばこの前ケーキくれたし・・・ってこれじゃセンジュ君と同レベル!!
ぶんぶんと頭を振るサチに構わずまたセンジュが言う。
「バトウ兄さんは?」
「・・・・・・・・」
まさか延々と続ける気じゃ・・・・

しかしこの危惧は現実のものとなり。

「―――じゃあ駄菓子屋のおばちゃんは?」
「・・・・・うん、好きよ。お世話になってるわ」
今一体何人目だろう・・・・
サチは数本目の燭台を置いて溜息を吐いた。
アンナちゃんやらアシュラ君やら組員さんやら果ては駄菓子屋のおばちゃんまで。
呆れながらも手は止めず、律儀に一つ一つ考えて答えを返す。
「サッちゃん『好き』しか言ってないねえ」
「え」
連続した問いの間、初めて落とされた別の言葉に磨く手を止める。・・・そういえばそのようだ。
というか『好きか』と聞かれて『嫌い』っていう人はあんまり・・・・
そんなサチにくすくす笑いながらセンジュが言う。
「えーとじゃあー、」
・・何で笑う?
ってかこれいつ終わるの・・・?
サチがかくりと項垂れる。
再び前を向いて考え始めるセンジュ、未だにその目的は不明。
もう近場の人間は粗方巡るのではないだろうか。
と、そこでふと気付く。


いるではないか。まだ。

近場中の近場の者が、一人。


それに思い当たって、ちょっとした思い付きが浮かぶ。

長々とした問い掛けで既に何回も何回も繰り返した言葉だ。
ここで新たに加えても他と同じに並んで埋もれるだけだろう。しかも相手はこの超天然男。
常ならとても言うまい事―――この流れに一つ乗せてみようか。


ちょっとした補足。

ちょっとした悪戯心。

ちょっとした挑戦。
――――勿論これは、自分への。

「センジュ君」
「ん?」
センジュが振り返る。
サチの目は燭台に落とされたまま。





「センジュ君も、大好きよ」





―――『も』なんて言っておきながら、散々繰り返した二文字、プラス接頭語。



一、
二、
三、
四、
五、

五秒経過、反応ゼロ。

サチの目線はまだ手元から離れない。
正直、流石に目を見て言う度胸が無かったのだ。
燭台を持つ手はぎこちなく、実は先程から同じ一点ばかりを擦っている。
あくまでも戯言として言ったのに・・・・情けない。
ひそり溜息を零す。

だが言葉は普通に落とせた筈。
今まで飽きる程出した言葉を再度繰り返す前に、そっと深呼吸をしたのも気付かれなかった筈だ。
しかし自分の鼓動が少なからず乱れているのが分かる。ああもう。
どうせ何も言われずさらっと流されて次に行くか『ありがとう』で流されるかだというのに・・・あ、どちらにしろ流されるのか・・・

しかし、いつまで経っても横の人間から言葉が発せられない。
え、何?まだ『好きか』人間リストアップ中?
っていうかやっぱ反応無しか。
内心本日幾度目になるだろう溜息をまた落とす。だがこれは身勝手な産物。
含蓄通りに受け取られても困るくせに。
どこかの葉が揺れる音を耳にしながら、いい加減顔を上げる。


顔を上げて――――停止した。






目の前の人物は真っ赤になって固まっていた。






風が吹く。

昨日の吹き荒れた様はなりを潜め、緩やかに滑る。


ぽかぽかとした陽光の下、固まった人間約二名。


何故だか自分が何やら大爆弾を投下したらしい、という事に彼女が気付き一気に染まった顔がもう一つ増えるのは更にたっぷり十秒後。





芽吹きの季節。


しかしこの芽吹きはとうの昔。

知らぬ幼芽は既に大きく育ち葉を出し茎を伸ばし。




間もなく花の季節。










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