「あ」

「・・・花火?」
黒々とした山の向こうに、ぱっと火の輪が咲いた。
黄色と赤い色のそれは、粉のように散ってゆるやかに落ちた。
それから違った色が4発立て続けに打ち上がって弾け、暗闇に戻った。
少しの間待ってみたが、窓の外にはもう上がる気配は無い。元々発数が少なかったのか、丁度終わりかけの頃だったのか。
センジュは諦めて浮かしていた腰を戻した。
この国にも花火はあるんだな、などと考える。
今年初めて見る花火だった。




「お帰りなさい」
玄関を開けた所で声が掛かった。
中に踏み入れていた足の重心を後ろ足に戻して、外を見遣る。
入り口の右側、外に面して伸びた廊下に人影があった。
「ただいま」
にこっと笑って言う。
センジュはそのまま方向転換してそちらへ歩き出した。
センジュからは逆光でよく表情が見えなかったのだが、一瞬軽く驚いたようにした後――やれやれという風にサチがしゃがみこんだ。
それを見たセンジュがにへらと笑う。
「・・・何よ」
「ううん、なんにも」
部屋からの光が背にあったので表情がしかと見えなかったが、近付いてようやく窺えるようになった。
そのサチは一瞬訝しげな目をしたが、軽い溜息ひとつで打ち捨てたようだった。
「遅かったわね。どうだった?」
「はい」
センジュが右手に持った幾枚かの紙切れをひらひらと振った。
ばっちり、というセンジュの声にサチの笑みが重なる。
「あーよかった〜。もしかしたら取れないんじゃないかと思ってた」
「うん、残り少なかったみたいよ」
じゃあやっぱり行って貰って正解だったわねえ、とサチが苦笑する。
長方形に切られた紙の隅に記されているのは明日の日付。
船のチケットだった。
日も暮れる頃、今日はこの辺りでと宿に入った。
丁度良いので明日向かう予定の船の事を尋ねると、宿の人から思わぬ話が出た。
数日前に嵐で連絡船が一艘破損してしまった。
現在その分の便が減っているので、早めに取っておかないと無くなるよ、と。
これは大変と、代表でセンジュが買いに走ったわけだ。
電車で一つ二つ乗った先に港があったのだが、そこの売り場が閉まる前にどうにか間に合った。
因みに、この「代表」を決めるのにも少々の談合を要した。
単に一番元気が良さそうな奴、という事で視線が集中したのがセンジュだったのだが、その内いくつかの視線は途中で逸らされた。
―――大丈夫か、こいつにまかせて?
本人はいたって呑気に『あーじゃあ僕行ってくるよー』と笑ったが、正直その瞬間欠片も不安を持たないのは本人だけだった。
ちょっと待てやっぱり俺が行く。えっなんでさ僕が行ってくるってー。なんかお前じゃ不安だ。それどういう意味だよ。
と、ジゾウとセンジュの埒のあかないお馴染みの言い合いが徐々に高まろうとしていた時、
『―――なんっでもいいから早く行けっ!!』
というサチの一喝でぴたりと止まった。
やっぱりサッちゃんはすごいなあ、と坂道を駆け下りながらセンジュはしみじみ思った。
「ご苦労様。疲れたでしょ、お風呂行―――く前に、ご飯かしら」
センジュの気性を正確に読んだサチが言い直す。それにセンジュが笑って返す。
「うん、そうする」
センジュはそこで靴を脱いだ片足を上に上げかけたが、
べちっ。
「でっ」
――サチが右手でセンジュの額を押しやって、左手で玄関を指差していた。
「―――あっちから入れ?」
「・・・はい」
むう、とセンジュが足を戻す。
あっちからでもこっちからでも変わらないと思うけどなあ、とセンジュは思ったが、にこやかなサチの顔にうっすら怒りマークが見えるので無難に逆らわない事にする。
玄関に戻りながら先程の花火が思い浮かぶ。
いくつかの国で花火を見たが、今日電車の窓から見えたのは日本のそれによく似たものだった。
見事に空に咲く様を思い返しながらセンジュがふと思う。
――― 一緒に行けば良かったな。
鮮やかな色の火の花。
見たら、きっと喜んだだろう。
そう考えた所で、はたと足が止まる。
――――いやいやいやいや。
センジュがぶんぶんと頭を振る。
他にもいるだろ、他にも。
同行する仲間の顔ぶれはいくつもあるというのに、―――浮かんだのは、一人の顔だけだった。
首を傾げる。
しかし妙な気恥ずかしさを確かに感じて、センジュは頭を掻きながらぺたぺたと廊下を歩いていった。




「・・・くん」

「・・・くん、・・て」
・・・?
「センジュ君、起きてってば」
「――――ん・・?」
目を薄く開く。ぼやけた視界の中に見慣れた顔を認めて、センジュが目を擦った。
あ、起きた、と覗き込んでくるサチの顔が呟いた。
「・・あれ」
もう朝?
――ではないらしい。目に入ってくる空間は暗い。身体の下の床からはややひやりとした温度が伝わってくる。
いつの間に眠り込んでしまったのか。
まだぼうっとした頭で考えていると、サチの声が割り込んできた。
「センジュ君、あっちあっち」
サチが開け放した大窓を指差す。
その急いた様子に身を起こしたセンジュが首を傾げる。
一体何―――と口に出す間も無く、目を見開いた。

闇を裂いて大きな花火がひとつ、見事に弾けた。

――― 一瞬ぽかんとしてそれを見ていたセンジュだったが、うわあ綺麗、という横からの声で我に返った。
・・・花火?
遅れて聞こえてくる音を待たずに、次の花火が打ち上がった。
センジュの横に座り込んでいたサチが立ち上がり、窓に駆け寄る。
「うわーすごい!綺麗!」
はしゃぐように身を乗り出す後姿の向こうでまたひとつ上がる。
「今日何かの祈願祭で、毎年花火を打ち上げてるんだって」
あっちこっちでお祭りしてるらしいんだけど、花火が上がるのはそのうちのいくつかしかないんだって、場所ばっちりねこの宿、と視線を外に遣ったままサチが言う。
どこから打ち上げられているのか、然程近くもないが決して遠くもないだろうと思われる大きさだった。
そういえば街の雰囲気が少し浮き足立っているように感じたが、あれはこのせいだったか、とセンジュが思う。
砕けた黄色の粉がぱらぱらと落ちた。それが空に溶け切る前に今度は緑の花が咲く。
「綺麗だなあ、日本の花火に似てる」
先程センジュが思った事をサチが口にする。
すこし呆けたままだったセンジュだったが、その台詞に俄かに目が覚めたようになる。眠気はとうに吹き飛んでいたのだが。
「ほらセンジュ君、あんまり数無いらしいから見とかないと損だよー」
相変わらず振り向かないままサチが言う。丁度真後ろ側にいるセンジュからは顔が見えなかったが、声音から楽しそうな気配が伝わってくる。
「今年花火見れないかと思ってたんだー、良かったー」
「あ、僕二回目」
「えっ嘘!!」
センジュがふと漏らした言葉に初めてサチがばっと振り返る。
「あ、えーと、たまたまだったんだけど」
サチの反応に何やらまずったか、と一瞬センジュが口を噤みかけたが、言ってしまったものは仕様が無いので先程の事を簡単に述べる。
それを聞いたサチはずーるーいー、とやや恨めしげに言ったが、それから顔を窓に向きなおして、
「・・・うー、じゃあやっぱり起こさない方がよかったか・・・」
「え?」
その台詞が咄嗟に理解出来なかったセンジュが訝しげな顔をする。言った本人は窓の縁に両肘をついて微妙に頭を抱えるようにしている。
「いや・・・疲れてるのは分かってたから起こそうかどうか結構迷ったんだけど・・・折角だからと思って結局起こしちゃったんだよね・・・・」
「・・・・」
センジュは宿に戻った後、夕飯をとったり汗を流したりとやる事はやった後、いつの間にか部屋で一人寝入ってしまったようだった。花火の情報が仲間の耳に入ったのはその後の事。
少しして部屋に戻ったサチがそれを見、起こさぬようにと静かに身の回りの整理をしていたのだが、そのうちに花火の音が聞こえてきた。
起こそうか起こすまいか、ひどく逡巡した挙句に揺り起こしたものらしい。
うーあーしまったー、と唸るように小さく呟く声がどうにか聞こえてくる。
「・・・ううん」
ぽつりと落とされたセンジュの言葉に、サチが僅かだけ顔を上げる。
「起こしてもらって良かった。・・さっき見たのよりも」

「こっちの方が綺麗だよ」

ありがとう、と言うセンジュにサチがちょっときょとんとした顔になる。
しかし一拍置いて、

「―――そっか」

この上無く嬉しそうな笑みをのせた。

それを時の間見ていたセンジュだったが、やがて気が付いたように顔を逸らす。ばつの悪そうな表情をしていた。
―――まいったな。
こっそり溜息を吐いて、ちらりと視線を戻す。
サチは窓に向き直って、引き続きうわーと声を上げていた。
心なし顔が熱い気がして頬を抓る。
先程言った事は嘘では無い。
先刻見たものよりも、今目の前で上がっている花火の方が綺麗だと思う。
――――比べ物にならないくらい。
と、突然サチが振り返った。
センジュがぎくりとする。別に悪い事をした訳でもないのにと、自分でもその反応が滑稽に思えた。
暗がりだった事が幸いしてか、その様子に気づく事も無くサチが口を開く。
「センジュ君、そこで見える?」
窓からやや離れた位置にいたセンジュを慮ったのか、サチが問う。
なんならみんなみたいに外か二階で見るという手もありよ、と順々に指を指す。
「あー、うん」
大丈夫、と言おうとしてセンジュが口を止める。
それから一瞬だけ挟んで、
「――うん、そっち行くから」
そう言って立ち上がり、窓辺まで歩み寄ってサチの横にすとんと座った。
が、そのまま後ろに背をごろりと倒した。
ちょっとサチが面喰らう。
「えっ、それで見える?」
首痛くない?と言うサチに、後頭部に添えた両手を片方外し、大丈夫大丈夫、とひらひら振った。
そう?とサチが訝ったが、視界がまたぱっと光ったのにつられてまた視線を空に向けた。
三色の光が吹き出すように一方向に流れて、サチの口から知らず溜息が漏れる。

この方が良く見える。
下方から見上げながらセンジュがそっと思った。
視界一杯に赤と黄の光が散開する。
弾ける光に照らされたサチの横顔が感嘆の笑みを浮かべている。

一際大きな花火の輪が闇夜に上がった。










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