「眠い・・・」
サチが座ったままひとつ伸びをした。


すぐ後ろには見るからに奥深い森。
荒れに荒れた山道の入り口には荒縄が渡され、それに古ぼけた看板が提げられていた。
―――『入るべからず』の朱書き。
すぐ傍に、大きな古木が横たわっている。
黒々とした幹のそれに、二人が並んで腰掛けていた。
「結局何用意すればいいのかわからなかったわ・・・」
目を擦ってごちるサチにセンジュが返した。
「十一面姉さん達が着の身着のままでいいって言ってたけど」
それが逆に不安なんだ、という本音を口に出さずサチはあさってを見た。
今から一ヶ月の籠もり。
単身向かうは禁制の山の中。
サチが脇に置いていた荷物を膝に抱える。小さな鞄一つだけだ。
ふとサチが思い付いたような顔になりセンジュを見た。
「あたしが行ってる間あんた何してるの?」
センジュがちょっと考えるような顔をして答えた。
「んー、修行でもしとくよ」
は?と口を開け、サチが呆れた顔になる。
「帰ってゆっくりしとけばいいじゃない。せっかくの休みなんだから」
あれ・・・仏に休みってあるんだろうか。
自分で言った言葉にサチが首を傾げた。
衆生を救うのが仕事であって・・うわ仏様って大変!・・忙しく立ち働いてますってイメージはこれでもかという程無いけど・・・。
いやでも今は自分をインドまで連れて行くのが役目らしいから合ってるよね?
胸中で自問自答するサチの耳に、ぽつりとした言葉が入った。
「・・・・休み?」
サチが見遣ると、センジュが軽く目を見開いた顔を向けてきていた。
「えっ、やっぱ無いっ?」
サチが幾分慌てたように言ったが、センジュの視線はゆっくり横に滑って空で留まった。
「・・・・休み・・・・」
もう一度同じ単語を口にして、
「・・センジュ君?」
センジュはそのまま考え込むように黙り込んでしまった。
・・・何か間違った事言っただろうか。
サチが怪訝な顔でセンジュを窺う。
その時、遠くで鐘が重々しく鳴った。
「わ、しまったこんな時間!」
サチが慌てて立ち上がる。仰いだ空は夜が明けたばかり。掴んだ鞄の紐を斜めに掛けた。
「じゃ、あたしの事なんか忘れてゆっくりしててよね!」
言いざま駆け出しかけたサチだが、
「おぉ!?」
思いがけぬ反動に思い切り仰け反った。
振り返ると、センジュが片手でサチの鞄を掴んでいた。
次いで、センジュがにっこりと笑って言った。

「―――なんか最後の台詞は聞き捨てならなかったなあ?」

サチが少し驚いた顔になり、眉を寄せた。
「・・何。何も言ってないと思うんだけど」
「言った」
センジュの即座の否定に、サチが自分の言葉を反芻する。が、
「・・・。・・・、・・・・・」
どんどん眉の寄せ方が深くなってゆくばかりで、やがてセンジュがかくっと項垂れ口を開いた。
「・・・なんかその言いようひどくない?って」
センジュの台詞にサチが目を丸くする。
「・・・はい?」
きょとんと小首を傾げたサチに、今度はセンジュが眉を寄せる。
「だからその言いよう。ひどくない?」
「えっどこが?」
「ひどい。絶対ひどい」
「何がよ!?」
心外だという体でサチが言う。それにセンジュがやや不機嫌そうな顔で答えた。
「だからその台詞がひどいって言ってるんだよ。忘れるわけないだろ」
サチがまた目を丸くした。
が、それが次第に疑わしげな表情に変わっていき、
「・・・・ええぇ〜〜?」
思い切り胡乱な声音を出した。センジュが顔を引き攣らせる。
「何その反応!?」
「えぇ〜だってさー」
サチがついーっと目を逸らす。
「忘れるんじゃないのー?3日会わないだけでも忘れるわよきっと」
「何それものすごい失礼!僕の事なんだと思ってんの!?」
「あんただから言ってんじゃない。たとえ毎日見慣れた顔でも絶対忘れるわよ。確実ね」
そんな仕事第一なんていう柄かこの男が。第一それじゃ休みにならないだろう。仕事を忘れない休みなんて休みとは言えない。
断言するサチにセンジュが半眼になる。
「あ――そう、片時も忘れないけどね」
その恨めし気な口調に、返すサチのトーンも落ちる。
「うわー嘘くさ。絶対嘘ね絶ーっ対忘れる」
「忘れないって言ってんだろ。一秒たりとも忘れないし」
両者の言葉に妙な低温が混じり始めた。
「あーそうですかー。一ヶ月後が楽しみね。あたしの事一秒でも忘れてたらあんたの負け」
「一秒でも忘れなかったら僕の勝ち」
「絶対あたしが勝つ」
「絶対僕が勝つね」
「へ〜左様ですか。あたしが勝ったら何してもらおうかしら」
「一ヶ月後何してもらうか考えとくよ」
「必要無いわよ」
べ、と舌を出してサチが背後を振り返った。
すぐ後ろに張られていた縄を乗り越える。提げられた看板が揺れて軋んだ。
「じゃ、一ヶ月後」
「うん、一ヶ月後」
たっと駆け出したサチの背中にもう一回声が掛けられた。

「いってらっしゃい」

サチが俄かに足を止めた。
振り返りはしなかったが、一拍置いて―――
―――ん、と小さく声が漏れた。



道なき道を掻き分けながら、サチが胸中で思考する。
・・・なんかよく考えると、すごい掛け合いをしていたような・・・?
頭の中で先程のやり取りを辿ってみる。
・・・・・・・
――――― 一秒たりともって。
「っんなわけあるか――!!」
突如サチが叫んだ。森の澄んだ空気を裂くそれで驚かせてしまったのか、近くで鳥の羽音が立った。
言った事と言われた事をストレートに吟味して今更顔を赤くする。売り言葉に買い言葉とはいえなんて会話だ。
枝を押しやりながらサチが熱ののぼった頭をぶんぶんと振る。
「いやいやいや、でも間違った事は言ってない」
一秒たりともなんてある訳がない。本当にどこまで仕事人間だそれ、誇張するにしても程がある。
待てあの仏の事だ、もう忘れているかもしれない。有り得る。
「・・・それはそれで腹立つ」
自ら断言しておいてなんだが、非常に癪に障る。
歩を進めながらむむと頬が膨らむ。これは結構自分勝手な感情だと思いながらそれを無視した。
別に誰にぶつける訳でもないのだからいいだろう。絶対こっちの言った事が正しいのだから、今この時ぐらい自分を大目に見てやりたい。
こうなったら、一ヶ月後何をしてもらうかしっかり考えといてやる。
約束は約束だ。
「ったく、本っ当」

んなわけあるかっての。




駆けていった背はすぐに緑に飲み込まれて見えなくなった。
葉が風に揺れるのを見ながらセンジュが軽く頭を掻く。
・・・なんか色々ひどい言われようだった。
休みとか、忘れろとか。
目をすがめたセンジュが長い溜息を吐いた。
一月。
眼前のうっそりとした緑を見遣る。一葉の葉にのった露がゆっくり流れて、音も無く茂みに吸い込まれた。
・・・多分、
「・・・・・長いんだろうなぁ」
小さく呟く。
それは、

――――慣れのせいなどではなくて。

看板の揺れはとうに収まり、最前と変わらぬ光景として納まっていた。
先程と違うのは、
――――ただ一つ。
でも。
「―――約束は約束だもんね?」
語りかけるように落とした口が微かに笑みを作る。
それから踵を返して歩みだした。

ふいに冷えた風が擦り抜ける。初秋の頃はとうに過ぎた。息の白くなる時季は決して遠くない。


さあ、来たる一ヶ月後。



何をしてもらおうか。





朝の陽光が強さを増して。
真っ直ぐに歩む背の後ろに長い影を作った。











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