「怪我したでしょう」



ぎくりとしたサチがゆっくり頭を巡らせる。
視線の先には、一人腕を組んで立っている人物―――仏がいた。
「えー・・・・」
サチが何とも言えず曖昧に返すと、
「怪我したでしょう」
「・・・・・・・」
同じ台詞を繰り返したアシュラに、サチが口元を引き攣らせた。


「貸して下さい」
差し出された手に、持っていた救急箱をしぶしぶ渡す。
「全く、他人の怪我の手当てをしておいて何故御自分の怪我を放っておくんです」
サチを傍の岩に座らせ、横に置いた救急箱のふたを開ける。
「後でやろうと思ってたのよ、後で」
「一緒に処置すれば済む話ですね。利き腕ならば尚更です」
サチがうぐっと詰まった。すごい、完全に見抜かれている。
右腕の袖を捲ると、多少などという表現では片付けにくい腫れ上がりが出来ていた。
「よく我慢してたものですね、痛いでしょう」
「・・・そこそこ?」
「・・・・ちょっと叩いてみましょうか」
「ごめんなさい痛いです」
サチが即行で折れる。ずきずきと疼く患部は少し触れられただけでも激痛が走るに違いない。
「冷たっ!」
ひやりとした感触にサチが肩を竦ませる。貼った湿布を軽く押さえてアシュラが口を開いた。
「骨に異常は無いようですね。ただ熱をもち始めていますから今夜は早めにお休みになって下さい」
淡々した診断を聞きつつ、ふとサチが疑問を口にした。
「・・・でもアシュラ君、あたしが怪我したってよく分かったわね」
「見てましたから」
「へ?」
アシュラが取り出した包帯をサチの腕に当てた。
「あなたが飛んできた岩を咄嗟に防ぐのが見えました。あれ、後ろの狛犬を庇ってわざと避けなかったでしょう。守られる側が守る側を守っていては本末転倒です」
ずばずばとした台詞がサチに突き刺さる。素晴らしいですよく見てらっしゃいました。何も反論できません。
「でも、でもコマちゃんだったし・・・いや別にコマちゃんだけとは言わないけど・・・ついとっさに・・・まあたかだか腕一本・・・あー、うーん・・・」
あさってを見てぶつぶつ呟き始めたサチ。途切れ途切れの泣き言を聞いていたアシュラが軽く溜息を吐いた。
「人間の体は脆いものです。無茶をなさらないように」
サチがぱちりと瞬く。時の間沈黙した後、でも、と口を開いた。

「人も怪我をしたら痛いけど、狛犬も、仏も怪我をしたらやっぱり痛いでしょう・・?」

アシュラが目を見開く。
「時々怪我するぐらいのあたしだってこんなに痛いのに・・・守ってる側は――――」
どこか訥々とした口調で続けていたサチが、そこで口を噤んだ。軽くかぶりを振る。
「・・・ううん、あたしが悪かったわ。すみませんでした」
「・・・頭まで下げなくても結構です」
アシュラがそれだけ口にする。
―――サチが何故怪我の事を他の者に隠したのか、おぼろげに分かった気がした。
包帯の端を結び、中に折り込む。
「ありがとう」
サチが右手の指を屈伸させる。
「あ〜なんか人心地ついた感じ・・・やっぱり助かったわありがと〜」
「包帯替える時は諦めて他の連中にばらして下さい」
「うっ」
礼を繰り返すサチにアシュラが無愛想に返す。ぱくんと救急箱のふたを閉めて立ち上がる。
サチがつられて顔を上げると同時に、アシュラが軽い動作で木の上に飛び上がった。
「あ!」
突然下で上がった声に、枝を蹴ろうとした足を止めてアシュラが振り返った。
「そっか、わかった」
得心したように頷くサチに、アシュラが怪訝な目を返す。
「上にいたから見えたのね、あたしが怪我したの」
そういえば、今回アシュラが助けに来てくれたのはこの怪我をしたすぐ後だった。どこからか見ていたのだろうが、高い所からならばその様がよく分かったのかもしれない。
いざという時にだけついと現れて、去る。一歩どころか、常に数歩は引いた姿勢の彼。
その離れた視線だったからこそ。
「なるほどー。・・・でもそうすると、誰も見てないと思ってあんまり下手な事もできないわね」
「・・・否定はしません」
控えめな返答にサチが乾いた笑いを漏らす。それに呆れ混じりの溜息を吐いてアシュラが頭を正面に戻す。が、
「あー!待った!もういっこ!」
焦ったようなサチの大声にアシュラの首が僅かにかくりと落ちる。
「・・・・今度は何ですか」
アシュラが踏みとどまってくれた事にほっとしたような表情を浮かべ、サチが口を開いた。
「今夜ヒマ?」
「は?」
アシュラにしては珍しい、間の抜けたような声が漏れた。
サチの台詞が、まるで友人に遊びに行こうとでも言うようなこの上なくお気軽なものだったからだ。
「今夜、じゃないや明日のー・・・朝!」
「明日の朝?」
ん、とサチが大きく頷く。
「明日、日の出をみんなで見ようって話してるの。――― 一緒に」
アシュラが軽く瞬いた。その下ではサチが、この先によく見えるって評判の名所があるらしくて、と続けている。
数歩引いた姿勢。中心より離れた立ち位置からの視線。

折角の景色。――――皆で一緒に。

「・・・・・・」
短くない間があった。が、やがてぽつりとした言葉が耳に入った。

「・・・・・・気が向けば」

それにサチが目を丸くして。
次いで、にこりと満足気な笑みを描いた。
「うん、みんな喜ぶ」
それを聞いたアシュラが胡乱気に眉を寄せて、今度こそ枝を蹴った。

あっという間に見えなくなってしまった姿にやや唖然としていたサチが、ゆるゆると口角を上げた。
「・・・うん、晴れるといいな。明日」
丁寧に巻かれた包帯を陽に透かすように腕を掲げる。
いや、晴れなくてもいいのだ。曇天で朝日が拝めなくたっていい。皆で曇ってるじゃないかと騒ごう。

皆で、同じ場所から。




手を庇代わりに仰ぐ空には僅かばかりの雲。

今夜から明日にかけての天気予報は、曇り、のち晴れ。









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