「花祭り?」
その問い掛けに、婦人が笑って頷いた。
「そうさ。あの塔のね、」
中年女性が指差した方には他の建物よりも高いそれがひとつ。
一際高いと言うには少々大げさで、見える家並みよりも頭二つほど上背があるだろうか、という灰褐色の建築物。
婦人はそれを『塔』と呼んだ。
「てっぺんからたっくさん花を落とすんだ。花が町一面に降ってきて、そりゃあ綺麗のなんのって」




「花祭りって言ったら、普通お釈迦様の誕生日よねえ」
「甘茶、香の水、天上天下唯我独尊ってね」
アンナが羅列し、まあ安易な名前だから完全な別物かもね、と付け加える。サチが苦笑した。
煉瓦造りの町並み。通りもそれに沿う建物も、淡い茶色が大方を占めていた。
それなりの年季がはいっているのだろう、壁にも石畳にも古ぼけた印象が感じられたが、それが風景にひどく似合っている。
一角にしつらえられたオープンテラスに、サチとアンナが向かい合って座っていた。
どこも多くの人が忙しそうに行き交っている。町中に祭りの前の浮き足立った空気が満ち満ちていた。
「幸福祈願のお祭りかー」
サチが彼方を見遣る。視線の先には灰色の塔が聳えていた。

「幸せを浴びる、という事で花を浴びるように撒くんだと。花イコール幸せ、と」
「へー、上から花を撒くなんて、結構大掛かりだよねえ」
「ところで、何で俺達はこんな事をしてるんだ?」
「正しくは『させられてる』だけどねー」
大きな角材の端と端を、ジゾウとセンジュが抱えて運んでいた。
ここはサチとアンナがいる通りからは大分離れた場所になる。通りがかりを捕まえられ、何故か仕事を押し付けられて今に至っていた。
「気にすんな坊主ども!ちょうど人が足りなかったところなんだ」
傍で大きな槌を握っていた男が声を投げる。
「働いとけ働いとけ。ご利益があるかもしんねーぞー」
「この祭りでは男は汗水たらして働くことになってんだ。諦めて手伝え!」
豪快に笑い飛ばす男達。各々大工道具を使っているが、集う年齢はばらばらだ。
頬に付いた砂を拭って、センジュが口を開いた。
「じゃあ女の人は?」


扉を開いた瞬間、二人を出迎えたのはむせる程の香りだった。
「うわぁ、すごい!」
サチとアンナが目を瞠る。集会所の中は花籠で一杯だった。
淡色だが色とりどりの花弁が、編み籠の縁から溢れんばかりに詰められている。それが幾つも積み重ねられて、端の方では壁の如く山積していた。
「果樹の花なのよ。ここでは摘果するんじゃなくて花のうちに摘んじゃうから、それを使ってるの」
「保ちは結構いいんだけど、それでもやっぱり直前に摘まないといけないのよねー」
「香りも消えちゃうしねえ。大変大変」
女性たちが呵呵と笑う。それを見てアンナが呟いた。
「なかなか面白いわね」
確かに、とサチが頷いた。祭りの営みもだが、きっとアンナはこの雰囲気を指しているのだろうと思った。この大らかな陽気さを。
笑んだサチが、ふと辺りを見回した。
「あの・・・花の準備は女の人たちがやるんですか?」
部屋の中には男性は一人もいなかった。女達が何人かずつ輪を作って作業している。
「お、いいところに気がついたわ!」
「男は力仕事、花に関しては全部女手。摘んで塔に運ぶまで女だけでやるのよ」
「ほらやっぱり花といえば女でしょー?」
頬にしおらしく手を添えてのたまった女性にどっと笑いが起こる。
「塔から花を撒くのも女がやるのよ」
「毎年一人くじで選んで、花の番をするのさ。今年はあの子」
恰幅のよい婦人が指した先には、比較的年若い娘達が5、6人で座っていた。
が、何やらひそひそと言葉を交し合って、そこだけ少し雰囲気が違うようだった。
「・・―――で、どうするの?」
「どうするもなにも・・・諦めるしかないし・・・」
「なにが?」
「いや、だから・・・きゃー!?」
女の子達が揃って声を上げた。後ろから何の違和感もなく問い掛けたのはアンナだった。
早! サチが連れの行動の早さに瞠目しつつ、倣って輪の傍に行く。
自分達と同じ年頃の娘らだった。それに同性だけという雰囲気も手伝って、程なくして彼女達は懸案事項を打ち明けた。
懸案を抱えているのは、当日塔から花を撒くその子。
「実は・・・」




「あれー?サッちゃんたちどこにいるんだろ」
「全く、これじゃわかりゃしねえよ」
薄闇が漂い始めた頃。
広場に集まる人間は少し前から追われるように数を増して、噴水が座す真ん中の空間を残し満杯になりつつあった。
「あ〜これじゃどんどんわかんなくなってく・・・・あれ」
センジュが振り返ってはたとする。
さっきまで横にあったはずのジゾウの姿が、影も形も無かった。
「・・・・・」
すごい人出だ・・・
手品の如く連れをきれいに消してしまった群集に、センジュがむしろ感心したように胸中で呟いた。
見物客は内外から集まっているらしい。人口の少ない筈の町は、ひどく賑やかな空気で溢れていた。
いつ始まるの、という誰かの声につられて振り返る。
幼子が二人、母親らしき女性の腕を引っ張っていた。女性は目線を合わせて、もうちょっとよ、と言い含めた。
すぐ傍には、夫婦と思われる年嵩の二人連れ。走り回る子供達、椅子に掛けてジョッキを打ち鳴らす中年の男たち。
皆々、笑顔だった。
ほこりと温まるような、それでいて底から熱気をもよおされるような、祭りの空気。
どうしたって笑みが浮かんでしまう空間。
――――だのに。
センジュが視線を巡らせる。
幼子の手を引く母親、和やかに会話を交わす年嵩の夫婦、甲高い声を上げながら鬼を追う子供等、競って勢いよく酒を呷る男達。
右から左へゆるりと首を動かして、端まで行き着いて止まる。
そして今度は左から右へ、軌跡を逆に辿る。また端まで行き着いて止まる。
「・・・・・・・」
緩慢に瞬いて―――どこかぼうとした面持ちで一歩踏み出した。
その時、大きなアナウンス音が響いた。
「皆様!今日はようこそお越し下さいました!」
センジュが踏み出した足をそのままに振り向くと、程近いところに設けられた壇上で男性がマイクを握っている。
恰幅のいい初老の風貌には貫禄が感じられて、この町の長かと思われた。張りのある声が流れる。
「本日は一年に一度の花祭りでございます!存分に花を愛で、祈りましょう!この祭りが皆々様の愛しき人との大切な絆となりますよう―――!」
町長が言葉を切るのと同時に、右手がさっと上がった。
それを合図にして、鐘の音が鳴った。空気を震わせるような響きが町中を打つ。
瞬間強い風が吹き抜けて、センジュが思わず目を細めた。
その狭められた視界をすっと過ぎったものがあって、上を仰ぐ。
仰いで―――目を見開かせた。

空が、降ってくる花で埋め尽くされていた。

「花祭りの始まりです!」
町長の台詞に呼応して歓声が上がる。時の間大人しくなっていた子供達がわっと駆け出した。
夜闇を割って淡い色味の花が後から後から落ちてくる。ひらりと舞う様は牡丹雪と見紛うばかりだった。
成程あちこちから人が集まるのも頷ける。華やか且つ幻想的で、いたく壮麗な祭事。
「すごいな・・・」
センジュが落とした声は人々の喧騒に掻き消された。眼前で黄色の花が軽く円を描いて、足元へ静かに落ちた。
「・・・・・・・」
「いやーすごいわねー」
ふいに背後から起こった声に、一拍置いてセンジュがばっと振り向く。
「アンナ!」
「お疲れー」
ジュースを口元から離さぬまま、アンナがひらひらと片手を振った。
ぱちぱちと瞬いたセンジュが、は、としたように辺りを見回した。
「・・・あれ、一人?」
その意を正確に読み取ったアンナが答える。
「別行動でーす。用事があるってさ」
「用事?」
センジュが眉を寄せる。なんの、というかどこで。
「場所は知ってるけどね」
「どこ?」
間髪入れずにセンジュが問う。が、
「さーてー?どーしよーかっしらー」
アンナが顔を背け、からかうような口調で返す。そして視線を戻すと、
「・・・・わかったわかった。勿体ぶらずに言うからその不機嫌そうな顔やめなさい」
「ん?」
センジュが怪訝な声を出す。
わかりやす、とアンナが呆れたような視線を送った。それからふいに上空を仰ぐ。
「お人好しは、お空の上―――」




重い扉を引くと、差し込んだ光に細い階段が映し出された。
「暗・・・」
壁の上部に燭台がしつらえられてあるが、本当に申し訳程度のそれは長い階段をぽつりぽつりと照らしていた。
人ひとりしか通れないぐらいの狭い通路。石段は奥へいく程少しずつ右へずれて、大きな螺旋状になっているようだっだ。
一つの窓もなく、ただ壁と点々とした明かりしかない階段をセンジュは上り始めた。
時刻のせいもあり石の体温は低い。冷たく湿った空間を時たま蝋の焦げた臭いが掠めた。
階上からの空気の流れが炎を揺らす。輪郭がぼやけたセンジュの影がそれよりも大きく揺らいだ。
大分上ったところで、前方に薄い光が洩れているのを認めた。
更に数段上ると、上部に四角く切り取られた空間があった。―――出口。
吹き込んでくる風に逆らって一段一段歩を進める。センジュが最後の段に足をかけた瞬間、通路の中に流れてきたものとは段違いの強風が襲った。
―――その先で、別のものが煽られて舞った。
薄い色味の髪がフードの裾から零れて流れている。
塀のように厚い石の柵で四方を囲んだうちの正面に、ひとり。
長いコートに身を包んだ人間が縁に両腕を乗せて、下を眺めるようにもたれかかっていた。





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