スプーンを持つ手が止まった。
透明のプラスチックカップの中で、ゼラチン体が青く透き通っている。
丸い容器の中に並々と注がれたそれがふるりと揺れるのをじっと見詰め、ぽつりと呟いた。

「・・・・プール行きたい」




「は?なにか言った?」
「プール行きたい」
振り返ったサチに、アンナが繰り返した。目線は眼前のサイダーゼリーから離れない。
「あーいいっすねープール!」
「こう暑いとやってらんないっすよ〜」
組員達が一も二も無く賛同した。昼食を素麺で済ませた午後の事。
「まあ確かにね・・・」
サチが外に目を向ける。全ての障子やら窓やら全開にしているのだが、入ってくる風はぬるいを通り越して暖かい。まさにうだるような気温というやつで、連日の猛暑に寺の一同がげんなりしていた。
「プール。プールプールプール。聞いたらものすげぇ行きたくなってきた」
「大量の水の中にざぶん!と」
「あ〜でもここらにそんな親切な施設ねえよなぁ」
大広間に集った男達がわいわい言い交わす。確かにプールなんてものここらには無い。この町でその名のつくのはお年寄り向けの温水プールだけだ。そうサチがアンナに言うと、それは論外だわと返った。
「ジゾウ君プールなんて行っても沈むだけだよねー」
「お前は浮かんでるだけだろーが!」
木と石ならぬセンジュとジゾウの会話を聞いて、そうか一方には重しが必要でもう一方には浮きが必要なのか大変そうね、とサチがのんびり考える。そのうち部屋の某所で声が上がった。
「じゃあ海だ!」
「海!川でもいい!」
「よっしゃさっそく準備―――」
「してどうすんのよ」
微妙に温度の落ちたサチの声が割って入った。
「もうすぐお盆だっていうのにこのいっそがしい時あんたら揃ってどこに行ってくれる気なわけ?」
盂蘭盆の法要も間近なこの時期は寺中あげての準備に大わらわである。寺の構えが大きくなってからは仕事も倍どころではなく増え、片付けなければならない用事は非常に多い。
ふざけんなと雄弁に物語っている目に皆一様に気圧される。口調が至って静かなので余計に怖い。
「―――分かりましたお嬢様」
その時どこからともなく掛かった言葉にサチが振り返ると、開け放した廊下にいつの間にやらマイク箕浦が立っていた。次いで親指を立て、白い歯を爽やかにきらめかせた。
「造りましょう」
―――全員がぱちぱちと瞬いて、ようやくサチが一文字落とした。
「・・・は?」
「造りましょう。プール」
・・・へ?
サチがもう一度瞬いた直後、組員達から歓声が上がった。
「マジっすか組長―――!!」
「おやっさん太っ腹―――!!」
「サイコ―――!!」
「どこに造る気なのよ」
そのアンナの台詞でサチが我に返った。
「ほ、ほんとよ!どこに造る気!?えっていうかほんとに造るの!?」
「もちろんですよお嬢様。近場のほうが何かと都合が良いですし、そうですねここの空いた場所にでも」
「ここ―――!?」
ここ!?うち!?寺にか!?サチが唖然とする横で男達がイヤッホー!と喜んでいる。
「プールひとつ造るなんてお手軽に言うもんねー。いくら貯め込んでんのかしら?」
アンナの言葉は正しく、数年前に新たに建てられたこの西岸寺は敷地を存分に生かした大層立派なもので、これを維持するだけでも相当な額になる筈だ。
いや違う今それは置いといて!サチが頭を振る。
「ちょっと待って!寺にそんなもん造ってどうすんの!おじーちゃんもなんとか言って!」
マイク箕浦の傍近くに立っていた和尚が、それは深く頷いた。
「火事が起こった時に水が沢山あると便利じゃのう」
「あああも―――!!またボケはじめたぁ―――!!」
頭を抱えて叫んだサチに、隣のアンナが声を掛けた。
「ねえサッちゃん水着持ってる?」
「は?」
「み・ず・ぎ」
「な、無い、けど」
男共の目がかっと光った。そうかそんなスバラシイ特典があるのか―――!!
たった一単語に視線が一気集中する。ただでさえ野郎で満杯の世帯。目の保養だの潤いだのという思考がそこかしこに走って過ぎる。
「いやアンナちゃんそういう問題じゃなくてね」
一方サチの脳内には危険信号が点灯していた。ヤバイ言いくるめられてしまう予感がする。何しろこの手の話でアンナに勝てた試しが無いのだ。
「今の時季かわいいのがたくさんあるわよ〜種類も増えたし」
「いやだからあの」
「一緒に選んであげる。明日デパート行く?あ今日行こう今日」
「ああうう」
早くも優劣が決しているその周囲で、アンナさんがんばれ―――!!という声無き声援が飛び交っている。
「なんつー俗な坊主共だ・・・」
ジゾウがごちた。組員、正しくは箕浦組の元組員である僧侶達は昔と大して素行が変わらず酒も飲めば博打も打つ。法衣姿で何ともいえないオーラを発している一団に溜息を吐き、ふと横を見た。
「・・・・・・・・・」
ひどく不機嫌な視線を周りに送りつつ、それでいてどこか複雑そうな感情をはらんだ表情でセンジュが黙り込んでいる。とりあえずその後頭部をジゾウが殴った。
「ったー!なにすんの!?」
「お前もなに考えてんだっつーか分かりやすすぎ」
「えっ。いや。なんか・・・いやでも水・・・うー」
「てめえが悩むところじゃねーだろ!!」
再度ごいんと音が立つ。一方部屋の中では如何にプールをカスタムするかについての話題に花が咲き始めた。
「プールの形はやっぱ長方形なのか?」
「それだと味気なくねーか?池みたいにこう曲がっててもいいんじゃね?」
「飛び込み台どうだ飛び込み台」
歓談の端々が耳に入っていたサチの肩が次第に震え始めた。それを認めたアンナが口上を止める。
「オレ南国ムード的なプールがいいなー」
「とりあえずイス。あの浜辺にあるナナメのやつ」
「それはビーチパラソルもセットだろ」
「プールサイドで優雅に酒が飲みてー!あと女の子。絶対女の子」
「グラスの縁に輪切りのオレンジとかレモンとか差し込むやつ。アレいいよなー」
ぷちんという音が聞こえた気がして、ひとまずアンナが一歩下がり、耳を塞いだ。


「っおまえらいいかげんに仕事しろ―――――!!!」










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