一口流し込んだミルクは甘くてどこかコクがあった。
おいしいけれどやっぱりいつも飲んでたのが欲しいな、と思ってしまうのは家の味が恋しいせいだろうか。
「ていうか職業病じゃないの」
ずばっと言い切ったアンナの台詞に、喉の奥に達した液体がぐっと詰まりかけた。



「だからなんでいちいちそんな言い方するんだよ――!!」
「自分の胸に聞いてみろっていう台詞はこういう時の為にあるんだよ!!」
真横からつんざいた大声に、サチとアンナが圧されたように斜めへ傾いた。
「まーた始まった」
呟いたアンナに、サチが溜息でもって同意した。
センジュとジゾウは結構ケンカが絶えない。二人は幼馴染であるし、気の置けない間柄という事なのだろう。
―――まあ喧嘩する程仲が良いと言って済むのならいいのだが、
「お店とかでやるのはちょっと・・・」
そう、ここはカフェテラスの一角だった。路上に並んだ円テーブルに二人ずつ腰掛けて、うち一つのテーブルを囲んだ二人がぎゃーぎゃーと口論しているのだ。
一喝して黙らせるのも手だ。しかしこの争論があまりにも頻繁すぎる為、労力を費やす事自体無駄なんじゃなかろうかと最近考えるようになってきた。その上長時間の移動による疲労のせいで気力が削がれてもいる。
そうだそもそも休憩の意でここに入ったのだ。サチがちらりと後方を見遣ると、旅疲れなど一向に感じさせぬ風情で互いに声を張り上げていた。
「元気いっぱいねー」
完全に他人事モードなアンナの言葉はまさにその通りだったが、こんな所でそんな元気は要らない。ただでさえ疲れているというのにああいっそブチ切れてやろうかなどと思いつつ、サチが手元のデニッシュケーキにナイフを入れた。ふかりとした生地には蜂蜜が練り込まれていてまろやかな甘みがある。とてもおいしいのだが、希望としては静かに味わいたい。
溜息を吐きナイフでひとかけら分切り離した時、ふとサチが瞬いた。
「お前の頭がそんなに軽っかるしいのは木か!?木だからか!?」
「ジゾウ君こそそのガチガチ頭ちょっとほぐしてきたら!?」
非常に低レベルな言い合いを繰り広げている最中。肩を叩かれた気がしたセンジュが眉を寄せた顔のまま振り返った。
―――と、視界に入ったのは何やらの塊。及び、背中合わせに座っていた筈のサチの顔だった。
開いた口腔に柔らかいものが入ってきた。反射で口を閉じると、柔い乾燥物を残して何か硬いものがするりと引き抜かれる。細くなめらかな感触が舌、歯を滑り、最後に唇を摩擦して空へと脱した。銀色に反射するそれがフォークだと理解するのに少しかかった。
「・・・・・・・・・」
―――あら、止まった?
口から出る台詞がぱたりと止んだのにサチが目を丸くする。どこか呆けたような顔で固まっていたセンジュが、漸うケーキを咀嚼し始めた。
何か食べさせれば黙るんじゃないかと思い付いて試しにケーキを放り込んでみたが、効果はてきめんだったようだ。
食べ物の力って偉大だわと感心するサチだったが、実の所それが主たる原因では全くなかった。センジュの頬が染まって見えるのも、あーヒートアップしすぎよもうという感想のもとに即終了した。
「・・・・・」
・・・ボケボケしてるのは一方だけではない。絶対一方だけではない。
呆れた顔つきでアンナが頬杖をついた。見遣ると向こうのジゾウも妙な顔のまま言葉を失っているが、似たようなことを考えている気がする。
とりあえずもケンカは強制終了となったので見事成功を収めたと言えるだろう。―――が。
センジュが手を伸ばした。すいと取ったのはサチの皿に載っていたフォーク。あれっとサチが思う傍で、ケーキをひとかけ刺した。
「・・・・ん?」
サチが小首を傾げた。―――目の前に、そのひとかけが突き出されていたからだ。
・・・これは、なんでしょう?
ぱちぱちと瞬いていると、センジュがただ一言、
「ん」
笑顔で落とした。
は?という顔でサチが止まっていたが、唐突に、
――――食べろってか!?
現状を理解した。瞠目するサチの眼前に、更にケーキが近付けられる。
ちょっと待って自分で食べるとかじゃないの。なにこれどういうこと。何故に。
「ん」
センジュが繰り返す。もしかしてさっきの仕返しという事だろうか。いやでも仕返しされるような事はしてない。絶対してない。えじゃあこれなに。
サチが後ずさろうとして失敗した。テーブルが障害になって、ただ縁に背を預ける形になる。
「―――ん」
さっきからその一文字しか口にしないセンジュは、相も変わらす笑みを乗せている。
―――しかしその眼差しが普段とはどこか違う色味を帯びていて、じっとサチを捉えていた。それがひどくサチをたじろがせる。
「・・・・・・・・・」
サチが閉じた口中で呻く。そうして観念したように、引き結んでいた口を小さく開いた。
ケーキがゆるやかに差し込まれる。薄い隙間だった為に全て入り込めなかった柔い欠片を、そのまま唇で食んだ。
はくっと口腔に押し込む。ひとつ噛むと、パイ状の表面をさくりと突き抜けて中へ到達する。たっぷりの空気でふわり膨らんだバター地はいとも容易く歯列を沈み込ませた。だが案の定、味も香りもよく分からない。さっきまで普通に食べてああおいしいとか思っていた物なのに。
しかし口を動かすだけだというのに、この己の僅かな動きがひどく大きな動作に感じられてしまうのは何故だろう。
昼間気にすることもないドアの開閉音が、しんとした真夜中にはいやに大きく響くように、そうしてノブを回す事さえそろり慎重になるように。
―――噛み締めるという行為をひとつ行おうとする度に迷い躊躇するのは、恐らく確実に―――眼前から注がれる視線が一瞬たりとも離れてくれないからだった。
餌付け?餌付けかこれ?とりあえずなんかめちゃくちゃ腹が立つ。腹が立つのだがどうした事か言葉がさっぱり出てこない。だものだから余計に腹が立つ。
むむむと睨むような目と真っ赤な顔で口をもぐもぐと動かすサチに、センジュが相好をとろりと崩した。
どうにかケーキを喉に流し込んで、サチが溜息を吐く。たったこれだけの事を為し終えるのにものすごい体力と精神力を消耗した気がする。特に後者。
サチが気力を使い果たした顔でかくっと項垂れると、斜め後ろでかちゃかちゃと耳慣れた音がした。食器の擦れる音。
ん?とサチが顔を上げるのと―――新たなるひとかけらが目に入ったのは同時だった。サチの瞳が瞬間凍結する。
――――ええええええ!?
「ちょちょちょ待って。なにそれなにそれは」
流石にサチが言い立てる。それにセンジュは、
「―――うん」
にっこりと笑い、フォーク先のケーキをサチの口許近くに差し出した。
サチはここで初めて行動の選択を間違えた事を悟った。どこがどう間違えていたのかは分からないが、矛先がこちらに向いてしまったらしい事は知れた。
「いやもういい。お腹いっぱい色々いっぱいいっぱい」
「うん。食べ物は残しちゃダメだよね」
頭を振るサチには全く構わぬ風情でずいっと突き出される。ちょっと待ってそれって残り全部これで食べろっていう事か!?
サチが逃げようかと考えた瞬間、ふいにセンジュの空いた手がサチ側のテーブルにたしっと着いた。テーブルがカフェの外壁に接している方とは、サチを挟んで反対側の。つまり、
――――退路が絶たれた。サチがひいいと息を吸う。
・・・これは長くなる。そう踏んだアンナとジゾウが揃って腰を上げた。サチはそれに気付く余裕など無く、センジュは元より目に入れていない。
「ケンカよりこっちのが迷惑だわね」
「同感だ」
何しろ怒鳴って強制終了できる類ではない。関わらぬ方が無難としか思えないこの状態はいつ頃戻れば終わっているのものかと、各々空を仰いだ。
一方テーブルでは、いっそ誰か怒鳴ってくれた方が有難いと思うに違いないサチの上半身が後ろに傾き、逆にセンジュが身を乗り出した。
見下ろされる体勢になったサチの視界で、生地に練り込まれた蜂蜜が滑らかに光った。テーブルについた両肘のうちの片方がケーキ皿に当たる。
その冷たい温度に、ああそういえばあたしケーキどのくらい食べてたっけ、などとぐるぐるする頭で考える。だが思考がきちんと思考にならないうちに、軽く唇に触れてきたスポンジの感触によって霧散した。
「〜〜〜〜〜!!」



実際を述べると。
皿の上のケーキは半分以上残っている。










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