「お嬢さん、買出しくらい俺らが行きますよ?わざわざ行って頂かなくても」
「ううん、別に買う物もあるから。あたしが行ってくるわ」
そうですか?という組員に頷く。ぱたりと障子を閉めると後ろから声がかかった。
「あれ、どっか行くの?」
センジュがサチの右手に握られた財布を見て言った。
「夕飯の材料が足りなかったから、ちょっと買ってくる」
「そうなの。んじゃ行こっか」
「・・・・」
サチが目をすがめ、財布の角でセンジュの頭を小突いた。
「痛!なにっ?」
「断定形に腹が立ったから」
サチがむくれた頬で返した。得心しかねる顔のまま横を通り過ぎるサチを、同じような表情のセンジュが首を傾げつつ追った。
「いつものお店?」
「今日は別のとこ。ちょっと遠いけど今特売やってるから」
「あっはっは距離より値段―」
「貧乏性で悪かったわね!」
そんなやり取りを交わしつつ日が傾きかけた境内を歩いていると、進行方向にひょこりと坊主頭が現れた。
「おじーちゃん!お帰りなさい」
階段を上ってきた和尚が微笑を浮かべた。
「ただいま」
「駅前まで買い物行ってくるね。何かいるものある?」
しかし和尚は返事の代わりに軽く目を見開き、サチをじっと見た。
怪訝な顔になったサチに、和尚が口を開いた。

「サチ、具合が悪いのならちゃんと寝ていなさい」

センジュが一瞬を挟んで目を丸くして。
サチがぱちりと瞬いた。





「・・・・」
ガラスの中に伸びた水銀の位置を確認し、センジュが沈黙する。
ちょっと高いどころじゃない。
目の前で横になっているサチが、体温計を奪い取られて口を尖らせている。
先刻。
和尚の指摘に時の間呆けた後、センジュがサチの額にぱっと手を当てた。サチは驚いてすぐ身を引いたが、触れた体温はあまりに熱かった。買い物などほっぽって有無を言わさず布団に詰め込んだのだ。
「サッちゃん、なんで言わないの」
「・・・大丈夫かなーと思って」
という事は、自覚があったという事だ。視線を逸らしているサチに、センジュが思い切り眉を寄せる。
その時障子が開いて、和尚が入ってきた。
「あったあった。最近使ってなかったから奥のほうにしまいこんでたわい」
茶色の袋を手に腰を折る。タオルに包み、サチの首を持ち上げてそれを下に敷いた。氷枕。
頭を戻したサチの目元が緩む。顔を横に傾けて頬をつけると、袋の中で鈍く擦れる音が立った。
「冷たい・・・」
サチが目を閉じて呟く。やはり辛かったのだろう、見える片頬には明らかに熱がのぼっていた。
「もう大人しく寝てなよサッちゃん」
センジュの言葉にサチが無言で頬を膨らませる。その時、
「―――そういえばお前が小さい頃」
並んで枕元に座っていた和尚が、思い起こすような顔で口を開いた。
「わしが托鉢から帰ってきたら姿が見えんでのう」
はて、という顔をしていたサチだが、何やら思い当たったのかうっすら眼の色を変えた。
「どこに行ったのかと思って寺中見て回ったが、なかなか見つからん。遅い時間だったし外に出ることもない筈だと思って、もう一度よく中を探したら―――」
「きゃ――!!ちょっとおじーちゃーん!!」
言いさした和尚の台詞を、布団を跳ね除けたサチの叫びが遮った。
「ちょちょちょ、も――!!変なこと言わないでよ――!!」
和尚の法衣を両の手で掴んで、赤い顔をぶんぶんと振っている。しかしその勢いが唐突に消え、起こした半身がへろりと崩れ落ちた。
「わわっ」
センジュが傾いた身体を慌てて支える。布団に横たえると、サチが半ば回った目で呻いた。急激に動くからだ。
「まだ夕飯は無理そうじゃのう。しばらくゆっくり休まんとな」
飄々と笑う和尚はなかなかの強者だ。ようやく焦点の合ったサチが呟く。
「絶っっ対言わないでよおじーちゃん」
余程他人に聞かれたくない話らしい。そこまで内密にしたい話とは一体何なのか非常に気にはなったが、またサチが噛み付くと困るのでとりあえずセンジュは何も言わなかった。
ふいにサチがセンジュへ視線を向けた。
「もうご飯の時間でしょ。食べてきなさいよ」
「え」
センジュが何か返答する前にサチが言葉を重ねた。
「ほっといてくれていいから。人がいたら気になって眠れないの」
「・・・そう?」
「そ」
短く返し、くるりと背を向けた。そのままサチが動かないので、和尚が促し揃って腰を上げた。

部屋を出て少し進んだところで、センジュがぽつりと口を開いた。
「・・・和尚さんは、よくわかったね」
「はい?」
前を歩いていた和尚が振り返る。
「サッちゃんが具合悪かったの」
平気だからと主張するサチを無理矢理押し戻し、水や薬やらを出してもらえるよう組員達に頼んだ折。
皆口々にこう言った。
―――『全く気付かなかった』と。
知らず足を止めたセンジュは、視線をやや下方に送っている。その眼差しがどこか硬い。
和尚も立ち止まり、ちらりと広間を見遣ってから言った。
「まだ夕飯の準備に大わらわなようです。あちらでお茶でも戴きませんか」





茶室の障子戸を開け放した先では、闇が濃くなりかけた庭に新緑の葉が揺れていた。
「ああ、ツツジが咲きましたね」
和尚の言葉に視線を向けると、薄暗い中でもはきと見て取れる鮮やかな色が2、3浮き上がっていた。
センジュが出された茶を手に取る。手の平からじわりと伝わる温かさを貰う。
「・・・誰も気付かなかった」
サチは平時とまるで変わりなく、言葉の端にもそんな様子は一切見られなかった。
だが布団に押し込んだ途端たちまちに沈み込んでしまった身体。ちょっと大声を出したぐらいで簡単に崩れ折れる、あんな高熱が急に出るものではない。もっと早くから変調していたのではないだろうか。
組員達は誰一人気付かなかった。

――――僕も、気付かなかった。

そう内心で言葉にした瞬間、己のその一言が胸の奥で驚く程に重く落ち響いた。
センジュがそこで初めて自覚した。
一番自分をつかえさせているものはこの事なのだ。
真横にいたのに、気付けなかった。気付かせなかった。
微塵も気付かせようとしなかった。
手の中の温度と身体の芯の温度が全く別物のように真逆に動いてゆくのを感じ、茶の水面をじっと見詰める。
向かい合った和尚が湯飲みを持ち上げた。
「本当に小さい時は、そうでもなかったんですよ」
穏やかな声音にセンジュが視線を上げる。
「頭が痛いとわんわん泣いて、少しでも傍を離れようとすると嫌がって」
和尚が一口茶を啜った。
「・・・それが、いつからか少なくなって。学校に入ったあたりからでしょうかな」
季節が変わる頃よく熱を出していたのに、身体がだるいと言い出す事が減っていった。
冬になると大抵風邪を引いていたのに、年毎その頻度が低くなっていった。
それが身体が丈夫になった為ではないと気付いたのは、あまりの体調の酷さに耐えきれず子供が倒れた時。
「何度も言い聞かせたんですがね」
我慢する事はないのだと。
辛ければ辛いと言いなさいと何度も何度も言って。
その度に幼子の戸惑ったような、揺れるような表情が返ってくる。
結局子供はただ時間の流れと共に隠し方を学んでいって。
「今では、ああも綺麗に―――隠せるようになってしまいました。見事と言えるほどに」
「・・・・見事・・」
センジュの呟きに和尚が首肯して続ける。
「見事な―――頑固者です」
センジュが目を丸くした。
「あまりに頑なに隠すので、こちらも意地になりましてね。どうにか見抜いてやろうと躍起になったわけです」
眼は茫としていないか。声は掠れてないか。足元はふらついてないか。
些細な変化を逃さぬよう。
ほっほっと和尚が笑い、ややしてセンジュが苦笑を浮かべた。
「・・・長年の対決の賜物なわけだ」
対決、という単語に和尚がちょっと目を見開く。それから朗らかに笑んだ。
「頑固娘を持った親の務めですからな」
笑みを返したセンジュがようやく茶を口に含んだ。幾分温くなっていたが、冷えた胸を暖めるには充分だった。
「センジュ様、先程私が言いかけた話ですがな」
センジュがちょっと考え、すぐに思い当たる。サッちゃんがいやに慌ててたあれか。
「私からばらしてしまうとこっぴどく怒鳴られるので言いませんが、気が向かれたら本人に聞いてみて下さい」
「ええ?」
和尚の言いようにセンジュが眉を寄せる。あんなに聞かれたくなさそうな様子だったのに、教えてくれるものだろうか。
和尚はどこか悪戯めいた色を双眸に混じらせ、最後の一口を飲み干した。
「さあ、夕飯を頂きに参りましょうか。折角言いくるめて追い出したのにと、サチに怒られてしまいます」










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→後



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