「きゃーもーカッコい―――!!」
真横でつんざいた奇声―――いや黄声に、耳に手を当てるだけでは防ぎきれなかったサチがよろめいた。
「ア、アンナちゃん・・・元気ね・・・」
きーんと鳴っている己が耳を労わりつつ、サチが呻くように呟いた。
「とーぜんっ!これがテンション上がらずにいられようか!!」
既に消えてしまった背中を追いかけるかのように、アンナが声を張り上げた。
「あいかわらずっ!アシュラ様ステキです―――!!」


悟りを得るべくして生まれ落ちた人間と、その護衛の役を担った者等。
加えてその一行とは常に一定の距離を保持した、しかし―――確かな守り手。
二者の距離感は旅路を歩み始めて短くない日々が過ぎた今でもほとんど変わる事が無い。


だがその日はとても珍しい事が起こった。




「じゃーん!見て見てー!」
そのセンジュの声に、部屋の中にいた全ての者が期待せずに振り向いた。どうせろくな事ではない。
が、意外にも皆揃って目を丸くする結果になった。
「アシュラ様!?」
「・・・・・・」
無言で返したのは確かにアシュラその人だった。センジュにがっしり腕を掴まれている。
「へっへー。捕まえてきちゃった」
にっとセンジュが笑う。一方アシュラは先程から全く目を合わせようとしない。
「どっどうしたの!?アシュラ君が来るなんて珍しー!」
サチが声を上げたのも最もで、アシュラが戦闘時以外で姿を現す事など無いに等しかった。
それが宿をとって人心地ついたこんな場面で現れるとは。
「・・・・いえ、あの」
ようやく口を開いたと思ったら、そこで言葉が途切れた。なんだかものすごく言いにくそうだ。ついでに妙な汗も流れている。代わってセンジュが明快に答えた。
「最初に大声で名前呼んでね。んでアシュラ君が来てくれたから、こっちこっちって手招きしてね」
呼んで、手招き。ジゾウがそれで?と表情で促した。センジュが爽やかに笑う。
「一撃くらわして、首根っこつかんで引っ張ってきた」
え―――!!と一同が声も無く叫んだ。アシュラは相変わらず目線を逸らしたままである。
つまり上司から呼び出しがかかったので従順に出て行った所いきなりとっ捕まえられた訳だ、ひどいひどすぎる。しかしこうまでされても上を立て真実を言わないアシュラはなんと忠節心に溢れているのか。
「あんった何さらしてんの――!!」
センジュの頭にサチの拳がごすっと落ちた。
「だってたまには一緒にって思ってるのにアシュラ君すぐに消えちゃうからさー確実に来てもらうにはやっぱ実力行使かなって」
「謝れ―!!アシュラ君に謝れ――!!」
「ミ、ミロク様私は大丈夫ですから」
サチがセンジュの頭を掴んでがくがく揺さぶっていると、横からアシュラが申し立ててきた。ううほんとなんて忠義者なのアシュラ君。サチはなんだか泣けてきた。
「―――アシュラ様晩ご飯食べましょう!」
サチがえっと目を瞠った。それは声を掛けられたアシュラも同様で、やや驚いたような顔をしている。
両の手を組んだアンナがアシュラを見上げていた。
「晩ご飯、食べましょう!ちょうど今から支度するんです、だから!」
アンナがきらきらとした瞳で言い募る。見返すアシュラが押し黙り、今現在の微妙に塞がれた状況を鑑みた。
「・・・・・では、はい」
アンナがぱっと輝いた笑みを浮かべ、きゃー!と飛び上がった。後方に座していたジゾウが茶を一口啜って呟く。
「アシュラは本当に苦労性だよな・・・」





「アシュラ様どーぞっ召し上がってくださいっ」
「ああ、ありがとうございます・・・」
皿を受け取りつつアシュラが心中で落とした。―――何故こんな事に。
和室の一間、皆で囲んだ食卓の一席にアシュラは座らされていた。どうしてここに自分が交じっているのか未だによく分からない。いや、センジュに引きずられてきたせいなのだが。
ひっそり溜息を吐き箸をつけようとしたが、ふと視線を感じ手を止めた。
アンナがじっと見詰めてきていたのだ。息を潜めるようにして、どこか緊張しているようにも見える。
食べにくい。非常に食べにくいが食べないわけにもいかない。固めたように動こうとしない視線から逃げるように双眸を逸らしつつ、ようやくアシュラが煮付を口に運んだ。一つ咀嚼してアシュラがふっと目を見開く。
「・・・おいしい」
覚えずアシュラの口から零れた。それを聞いたアンナがほっと息を吐き、次いでそれは嬉しそうに笑んだ。
「こっちもどうぞ!これ今旬の葉野菜なんです〜すっごくおいしいんですよ〜」
アンナがにこにこと喋りかける。そのままアシュラの横に陣取って、菜の物を取り分けたり茶を足したりとかいがいしく世話を焼き始めた。
「ほんと、おいし」
サチが感心したように呟く。やはりアンナの和食はおいしい。後でこの味付け教えてもらおう。
この宿の賄いは客の持ち込み式となっている。よって今夜の料理はこちらの手によるものだったが、
「これ全部アンナが作ったの?」
「そ」
すごいでしょ、とサチがセンジュに返す。常なら調理の半分以上をサチが仕切ってしまうのだが、本日サチの手は一切入っていない。全てアンナが作ったものだ。
アンナは家が旅館なだけあって腕前はなかなかのものなのだが、本人曰く「面倒!」との事で台所に立つ機会は少ない。
しかしこの日の晩餐はその消極的な姿勢を完全にひっくり返していた。何しろ卓上一杯に並べられたメニューの数からして気合の入り方が違う。
「普段からこんだけやる気があればいいんだがな」
ジゾウが鯛の切り身を口へ放り込む。
「なんか今日は珍しい事が多いね」
その当の原因が筑前煮をもぐもぐ頬張りながら別のおかずに手を伸ばす。
「口一杯にして喋らない」
白和えを飲み込んだサチが足元を覗き込む。既に空になった器の傍で、コマがねだるように喉を鳴らした。





窓の向こうに少しだけ欠けた月が輝いていた。
もう明日明後日あたり満月かしら。洗い髪をタオルで拭いながら、アンナが両腕で伸びをした。
あんなに目一杯料理をしたのは久し振りだ。いつだったか祖母が町内会の旅行に行ってしまった日、折悪しく且つ珍しく団体の宿泊客が来てしまい、それはもうてんやわんやした事があった。客達を送り出した後は扉の中でぐったりと膝を着いたものだが。
―――今日は違う。とびきりの充足感が体中を満たしている。アンナは夕食時からずっと緩みっ放しになっている口許を押さえた。
いつもなら率先して調理にかかる筈のサチは「今日は遠慮します」と手をひらひら振って台所から出て行った。おかげで大変には大変だったが、アシュラからとても嬉しい一言を貰うことが出来た。
『おいしい』
反芻して更に顔がにやける。
「ああホント、今日はなんっていい日なのかしら!」
ろくに会話もした事も無かった憧れの人に不意に近付けた驚きと喜び。それが全身を満たしている。
「今夜はすっごいいい夢が見れそうっ!」
はしゃいだ顔で濡れ縁を曲がったアンナが、急に足を止めた。
「・・・アシュラ様?」
前方の柱に寄りかかった人物を認めて目を瞠る。何度も瞬きをした後、もう一度繰り返す。
「・・・・・アシュラ様?」
返事は無い。膝を崩し、俯けた頭はぴくりとも動かない。
食事の後つと姿が消えてしまったのでもう帰ってしまったと思っていたのに。抜き足でそろそろ距離を詰めて様子を覗う。
どうやら眠っているようなのを見て取って、アシュラ様の寝顔―――!と叫びそうになった己が口を咄嗟に塞いだ。
すごい、今日は立て続けにミラクルが起こっている。神様ありがとう。あ、仏様?どっちでもいいや。
口に両手を当てたまま、アンナが即座に屈み込んだ。これを逃したらもうお目にかかれないかもしれない。今堪能せずしてどうする。アンナは迷いなく、しかし努めてそうっと覗き込んだ。
きゃーきゃーやっぱりめちゃくちゃカッコいいアシュラ様。キレイなお顔〜って睫毛長!
―――そんな風にあまりにも夢中で見入っていたので、アンナはアシュラの指がぴくりと動いたのに気付かなかった。
微かに睫毛が震えたのに、え、とアンナが思った時は遅かった。―――次の瞬間にはその双眸がアンナを捉えていたのだ。
思わずアンナの全身が停止する。動きの悪い思考で、やっちゃった、と胸中で落とす。
これは怒られるとかとにかく何かされたり思われたりするかもしれない。ヤバイかも。イメージダウンされるのは特に避けたい。
すぐに立ち上がるべきだったのだが、何故だか足が動かなかった。真正面から瞳がぶつかったのがいけなかったのかもしれない。
だがアシュラは完全には覚醒していないようで、薄く開いた目を鈍く瞬かせた。アンナの長い髪を風がさらう。濡れているせいで少しだけ波打った髪は、水分の重みで僅かに揺らされただけだった。
アシュラがひどくゆっくりとした動作でもう一つ瞬いた。そして同じような速度で、その口がたった一言を紡いだ。

「・・・・・・シャシ・・・・?」

アンナが目を見開いた。
咄嗟に立ち上がる。一拍して、アシュラがはっと目を覚ました。
アンナを見、辺りを見渡す。それから頭を抱えた。
―――まさか、寝入ってしまうなんて。
さっさと出て行くつもりだったのに、再度センジュに捕まって引き留められるまま時間が過ぎていって。ようやく部屋を抜け出し、少しだけ休憩を取ろうとしただけだったのに。
なんて様だ。アシュラが大きな息を吐く。それから思い出したように頭を上げた。
「・・・すいません、眠ってしまったようで」
そう述べたアシュラが、怪訝に眉を寄せた。アンナから反応が返ってこないのだ。
にぎやかな娘という印象があっただけに、アシュラがやや不思議そうな視線を送る。つとアンナが我に返ったように首を振った。
「いっいえ、きっとお疲れだったんですよ!」
疲れ。そう言われればそうかもしれない。昼間センジュからいきなり拳を落とされた衝撃を思い出して、アシュラはまた溜息を吐きたくなった。
そろそろ退散しよう。腰を上げて足を踏み出したが、気が付いて振り返った。
「ご馳走になりました」
アンナがぎこちなく、いいえ、と返す。
アシュラの姿が消えた後、アンナはしばらく立ち尽くしたままだった。


「あれ、お帰り」
部屋に入ってきたアンナにサチが顔を上げる。
「遅かったね。どうしたの?」
「あー・・・」
既に敷いてあった足元の布団にアンナがぼすっと座り込む。
「れ、アンナちゃんドライヤーは?」
母屋にドライヤーを借りに行くといって出て行った筈なのだが、アンナの手は空っぽだ。
「あー・・・忘れた」
サチが目を丸くする。アンナの上半身が布団に倒れ込んだ。
「おやすみ」
言うなり毛布を引っ張りあげて、早々に包まってしまった。サチがぽかんとしてそれを見た。
しかし実際アンナがまどろみを覚えたのは明け方近くになってからだった。
短い眠りのうちで、この日アンナは夢を見なかった。



彼には愛しい人がいたとか。
確かそんな名前だったと聞いた。












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→後



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