「なんでああいう事するの!!」
「いーじゃないのちょっとぐらい」

緑に囲まれた閑静な敷地の一角で、和やかに澄んだ空には不似合いな語調の声が上がった。
「どこがちょっとぐらいよ!!お年寄りの荷物持ちで千円も取ろうとしないの!!つーか金取るな!!」
詰め寄るサチに足をだらりと崩して座っているアンナが返す。
「だーって稼ぎたかったもん」
閉じた雑誌を片手でばさばさ振るのに、サチがほんの僅かだけ詰まる。自分と同じ捨て子である境遇のアンナが、いつか自分の両親を捜しにゆく為に蓄財しているのは既に知る所だった。
胸中がよく理解できるだけに思わず口を噤みかけたが、それを押し退けて台詞を次いだ。
「だからってやり方選ばなすぎでしょう!?限度ってもんを考えなさいよ!!」
「やーこないだ服買い込みすぎちゃって。でもまた欲しいの見付けたからちょっと稼いどこうかと」
「単なる小遣い稼ぎかぁ!!」
サチが叫んだ。雑誌のページを開き見せ「ほらこれよくない?」とのたまうアンナにくらり眩暈を覚える。アンナが柱に掛かった古時計を見遣り、軽く伸びをした。
「あーもうこんな時間か。ちょっとその辺ブラブラしてくるわ。気になる店があったのよねー」
「は」
サチがほけっとした顔になる。アンナはその間にさっさと部屋からいなくなってしまった。
残されたサチは空いた空間を唖然と見詰め、やがてテーブルの上にがくりと項垂れた。
「・・・どうされたんです?ミロク様」
その声に顔を上げると、ジゾウとセンジュが訝しげに見下ろしてきていた。それを時の間見返し、うぅ、と呻いて突っ伏す。
「どうしたのサッちゃん、さっきなんか大声で叫んでなかった?」
サチは顔を伏せたまま、僅かに浮かせた右手をぺち、と卓に落とした。
「アンナちゃんがつかめないよぅ・・・」
くぐもった台詞に仏2人が眉を上げた。なんとなく察したジゾウが腕を組む。
「あぁ・・・そうですね。ミロク様は真面目でいらっしゃるから、あのイタコの適当な性情に合わない所は多分にあるでしょうね」
「確かにサッちゃん結構マジメだよねぇ。ジゾウ君はマジメ通り越して超がっちがちだけど」
「少なくともこの常に蹴り飛ばしたくなるバカよりは数倍も数十倍も真面目でいらっしゃいます」
その評価はどう受け止めればよいのだろうか。比較対象が対象なだけに基準がよく分からない。胸中で真面目に首を傾げていたサチがはっと思考を途絶させた。自分の事ではなくて。
―――恐山でのアシュラとの戦闘を経、身体の内外を負傷したセンジュが目覚めてから1ヶ月が経とうとしていた。
千手天衣修復の為に故仏師純慧の霊をその身に降ろし、千手観音像を彫り直してくれた恐山のイタコ、アンナ。
しばし静養を要する程に心身をすり減らして降霊を行ってくれたアンナには、センジュが倒れた折にも彼女の育ての祖母共々非常に世話になった。
且つ青森から西岸寺への帰途に同行の意志を示してくれた時には本当に有難かった。曰く『行動のイタコ』である彼女は有事の際には亡き侍を降霊し、その動きをトレースして戦うことが出来る。それは非常に心強い戦力となった。
ジゾウが再び人界に下り、センジュが復調を果たし一行は先日西岸寺を出立。未だアンナは道程を共にしている。が、
・・・結構な自由人だわ。
サチはこの数週間でよくよく痛感していた。正に自由の一言に尽きる。
気付くと折々フラリとどこかへ消えていて、大分経ったころに買い物袋を抱えて戻ってくる。集団行動には向かないタイプだ。そもそも本人が集団行動する気をさらさら持ち合わせてない気がする。まあこれは瑣事としてもだ。
今日大きな荷物を抱えた老人が階段で難儀そうにしているのに、アンナが自ら『持ちましょうか?』と申し出て、それをわぁアンナちゃん親切だないい事だなどとほのぼの見ていたのが甘かった。荷物持って上りきった瞬間『はい、千円ね』って。―――容赦無いというよりもアコギだ。
元からあんな感じだっただろうか、西岸寺にいた時はもっと大人しかったような。いや、あの時自分はそれこそ眠り続けるセンジュの世話に明け暮れていたから単に知る機会が無かっただけかもしれない。現に出会いからしていきなり金銭を要求されたではないか。
「あぁ〜〜ホントつかめない〜〜」
テーブルに顎を載せたサチが泣き言を漏らす。本当にどう応対していいのか分からない。それに、
「・・・・」
眉を寄せたサチが小さく溜息を吐く。とにかくも性格の不一致の一言で片付けたくなかった。
「うーんじゃあきっとまんま『つかめない性格』っていう性格なんだよ。つかめなくてもしょうがないねー」
したり顔で言ったセンジュにサチがぱちぱちと瞬き、ぽつりと落とす。
「・・・・あぁ、そういえばあんたも未だにつかめないわ」




欠伸を零したアンナが片目を擦る。昨夜買いこんだティーンズ雑誌を遅くまで読み耽っていたツケが今になって回ってきたらしい。
最近朝晩はめっきり涼しくなってきたが昼日中の日差しはまだ幾分厳しい。眉を顰めたアンナの視界にふと公園らしき入り口が映った。枝葉のさざめきに誘われて足は自然そちらへ向かった。
「あぁーつっかれたー」
アンナがベンチの上で両腕を伸ばす。背後の楠が一帯に木陰をつくっており、通り抜ける風も心地良い。薄汗を払う冷気にアンナが表情を緩める。折角なので休んでいこうかという気が俄かに起こった。
横木に背を凭せ掛けた時、眼前を女性が1人通り過ぎていった。年の頃が近く、不意に似た背格好の子を連想した。
あーあ、あの千円でもういっこ何か買えたのに。思い出して目をすがめた。
『ダメだってアンナちゃん!!』
到達した階段上で老人に手の平を差し出した時、突然サチにひったくるような勢いで腕を掴まれ、その場から無理矢理引っ張り出されてしまった。
いいじゃないのよあれぐらい。回想して口を尖らせる。
これからも稼ぎを邪魔されるかもしれないと思うと溜息が出る。根が生真面目なのだろう、あれは確実に自分とは真逆のタイプだ。
やれやれと嘆息して目を閉じる。その時、やや荒げたような声が耳に入った。
「だから・・・っ行かないって言ってるでしょう!?」
振り返ると、植え込みを挟んだ真後ろのベンチで何やら言い合っている。こちらに背を向けた形で立っている女2人と、その前に男3人。
「いーじゃんちょっとだけだって」
「そーそ。カラオケ行こーぜカラオケ」
「結構ですってば!」
ナンパか。あからさまに始末の悪そうな男共の面を横目で見遣って眉根を寄せる。ここは駅の目と鼻の先で人の通りが多い。誰かを引っ掛けるのには手頃な場所なのかもしれない。女性2人は肩を寄せ合うようにして必死に顔を上げているが、立ち塞がる男達に萎縮しているのが後ろからでも丸分かりだった。
アタマ悪そうな連中。アンナが溜息を吐いて身体の向きを戻す。とにもかくにも、眠いのだから静かにやってくれないものだろうか。頬杖を付いて目を閉じる。
「用事があるんですってば!」
「いーじゃんそんなの〜」
「そんなのよりオレ達と楽しいトコ行こーぜ」
「どいてください・・・っ!」
「ほらほらそー言わずね?」
「ちょっ、離してください!」
「アハハそんな力じゃムリだよ〜」
「じゃ、いこーいこー」
「離・・・っ」
ゴン。
と音が立った。
真ん中の男が呻き、頭を押さえてうずくまる。頭部に何かを叩き込まれたのだ。
「う、る、さ、い」
刀袋を振り下ろした体勢のままアンナが落とした。突然の闖入に一同が唖然とする。
「ひとが疲れてるってのに。あんたらもっと静かにやんなさいよ休憩の邪魔よ」
低音で淡々と述べるアンナに、衝撃から復活した男が立ち上がった。
「ってぇな何しやがんだテメ・・・!!」
しかし叫んだ男はついと眉を上げた。
「・・・へぇ」
その視線が値踏みするようなものに変わったのを認め、アンナが顔を顰める。
「なかなかキレーな顔してんなぁ」
「だな」
「オレ等に付き合うんならさっきのはチャラにしてやってもいいぜ?」
どう見ても年上である男達が発したニヤついた台詞に、軽く口を開いたままアンナが無言になる。恐怖から言葉を失っているのだろうと、女性達が不安げな眼差しを送る。そのまましばしの間を挟み、漸う一言。
「・・・・・・・・・ウザ」
瞬時に場が凍りついた。言葉の無い空白の時間はどうやら呆れからきたものだったらしい。蔑んだ瞳でただ一言、しかしこの上なく万感の籠もった「ウザ」にさすがの男達も怒髪天を突かれた。
「っんのアマっ・・・!!」
男の一人がアンナの襟元を掴み上げた。しかしアンナの右手は早くも袋の中の柄に手が掛かっている。
あーこんなところで刀使うと後が面倒なのよね。でもムカつくからこの際思う存分叩きのめしてしまおう。降霊料は3倍に跳ね上げてやる。
鯉口を切りかけた瞬間――――鈍い音を伴って眼前の男の顔が右から左へスライドした。アンナが瞠目する。
横様に殴られた男の手が緩み、アンナの襟から離れる。男が苦悶してしゃがみこんだのでその陰にいた人間が視界に現れた。
「――――ひとの友達になにしてんのよっ!!」
息を震わせてサチが叫んだ。アンナの目が真ん丸になる。
トートバッグの取っ手を両手で握り締めている。恐らくあれを振り回したのだろう。えらく鈍い音がしたので中何が入ってんだろうと埒も無い考えを巡らす。
「てめ・・・っなにしやがんだ!!」
「こっちのセリフよ!!男がよってたかって女の子になにしてんのよ!!謝りなさい!!」
「おいコラ顔がかわいいからって容赦しねーぞ!?」
「はぁ!?なに訳の分かんない事言ってんのよ!!早く謝れ!!」
サチは自分より背の高い男達を睨み据え、声を張り上げた。退く様子は欠片も無い。
「のヤロっ!!」
男の1人が腕を振り上げた。一瞬サチの肩がぴくりと跳ねたが、双眸は微塵も逸らさぬまま取っ手をきつく握り込んだ。だが次の瞬間、男の手は上方向に弾かれた。
「なっ!?」
「!?」
間に割り込んだアンナが柄頭で腕を突き上げたのだ。
「な・・・なんだコイツ!?」
「か、刀か・・・っ!?」
覆いの袋は既に取り除かれ、黒檀色の鞘が陽光を重く反射させている。
「まったく、ほんっっっと―――」
手の中で踊るようにくるり回転した刀がアンナの左腰辺りにぴたりとつけられた。
「―――――ウザい」
鯉口を切る音がカチンと響いた。




「あーあ、時間無駄遣いしたわ」
「だからってお金請求する事ないでしょう・・・」
「正当な報酬じゃないの」
当然顔で述べたアンナをサチがげんなりと睨めつける。
あっという間にのしてしまった男共をベンチの上にオブジェのように積み重ねておき、口をあんぐりと開けている女性2人にアンナはすっと手を伸ばした。
『降霊料3ぜ・・・むぐ』
その口を咄嗟に塞いだサチが、アンナを引きずってとっとと退散したのだ。
回想に嘆息したサチが、ふと視線を感じて横を見遣った。
「何?」
アンナがじっとサチの顔を見ていた。サチに呼びかけられた後もすぐには反応せず、時の間を挟んでから口を開けた。
「あんた、いつの間にあたしの友達になったの?」
サチがきょとんした顔になった。数回瞬き、挟む事5拍。
「・・・・・・・・・えええええぇ!?」
驚愕の体で叫んで、よろりと半回転し向こうの電柱へ凭れかかった。同時にごつっという音がして、アンナがうわっと声を上げる。
「そ、れは・・・そうきたか・・・そうきたか・・・・いやそれはそうなんだけど・・・その通りなんだけど・・・・」
サチはコンクリートに両手と頭をくっつけてぶつぶつ呟いている。その背をアンナが呆けたように眺める。さっき絶対頭ぶつけてたけど大丈夫なのかしらと思いつつ、一つの疑問が胸の中に落ちた。
―――なんでこの子は、たかたがあたしに袖にされたぐらいでこんなに落ち込むのかしら。
「えぇとね・・・その、何と言うか・・・」
アンナは別段返答を期待していた訳ではなかったのだが、電柱の蝉と化したサチはもごもごと口を開いた。
「つい願望が出ちゃった、というか・・・」
「は?」
怪訝な顔をしたアンナに、サチのつっかえつっかえの台詞が零れた。
「・・・と、友達、なりたいんだもん・・・・せっ、かく一緒・・・いるのに・・・もっと、」
なかよく。そう尻すぼみに締められた言葉に、アンナの目は点になった。紅潮したサチがあうぅと呻く。そう、これが本音だった。
自分は男親に育てられた上、身近な存在はなべて男ばかりだ。だからアンナが加わってくれた時は新鮮な心地で、そしてとても嬉しかった。折角同年同性が加わってくれたのだからもっと親しくありたい。
知り合いでは浅すぎる。仲間というのも決して悪くはない括りなのだが、出来る事ならそれよりもより近く。―――その想いが咄嗟の場面で口をついてしまったらしい。
厚かましいやら恥ずかしいやらで電柱に額をなすり付けていると、ふとアンナの声が落とされた。
「・・・・あんたさぁ。あたしイタコなんだけど、どう思う?」
その唐突な問いに、サチが思わずアンナを顧みた。
「え・・・うん、知ってるけど」
「そうね。どう思う?」
「・・・・・・スゴイね?」
じゃなくて。アンナが半眼になる。
「あたしがこういう能力を持っているのをよーく考慮してもあんたは同じことを思う?」
サチが瞳を瞬かせた。それをアンナがじっと見詰める。
イタコというのは一般からすれば異質な存在だ。それ故差別的な目で見られることが多い。
特に己の能力は他の降霊能力者よりも抜きん出ており、それは自他共に認められている事実だった。為に他のイタコからさえも一歩以上引いた視線を向けられる。籠められた主な意図は、畏怖、そして恐怖。
周囲と異なる性質の者はおよそそういう目で見られるものだ。且つ、その度合いが高ければ高い程それは激しい。―――自分のように。
「・・・・うぅん?」
目を閉じたままサチが首を捻る。よく分からないけれど、・・・もしかして、こういう事だろうか?
「え――と、」
薄らと瞼を押し上げたサチがアンナを振り返った。
「あたし弥勒菩薩の生まれ変わりで、そのうちインドで悟り開いてこの世を救うめちゃくちゃ偉い人らしいわよ。・・・そう見える?」
首を傾げたサチに、アンナがきょとんとした表情になる。いきなり何だ。
「まぁ見えるかと言われれば全くもって見えないわね」
「あぁ、よね・・・」
さらりとした回答にサチの目が微妙に遠くなる。しかしどこか苦笑気味なのは自身でも正にそう思っているからだ。
「うん、それでいいの。というか、そういうのがいいのかもしれない」
そんな肩書は要らない。自分が求めているものにそんな前提は欠片たりとも必要なくて、むしろ邪魔で。
―――ああだから、そんな事気にも留めなさそうな彼女と話したいと思ったのかもしれない。
そんな考えが落ちてきて、知らずサチが微笑んだ。
「そんな事どうでもいいんだもん。だってただ喋ったり遊んだりしたいだけなんだから」
アンナが目を瞠った。こういう話でいいのかと窺うサチを呆気に取られたように見返す。
―――どうでもいいときたか。
半ばぽかんとした頭の中で、不意に公園でのやりとりが思い出された。バッグで男の顔を殴りつけ、一歩も退かずに睨み返した姿。しかしアンナには分かっていた。
取っ手を握り締める両の手が微かに震えていたのは、きつく力を籠めていたからだけではなかった事に。―――そのくせに、
『ひとの友達になにしてんのよっ!!』
誰何した眼差しはどこまでも必死で、真っ直ぐだった。
「・・・・アンナちゃーん?」
はっとアンナが思考から浮き上がる。サチがそれは怪訝そうな眼差しを向けてきていた。
「何で笑ってるの・・・もしかしてあたし全然違う事言った?」
アンナが眉を上げた。そのまま自分の頬に手をぺたりとつける。これは1つ目の問いに対する確認。
「・・・アラ?いやぁそうきたかと思って。つい本音が顔に」
「あああああぁ?」
うふっとわざとらしく笑ったアンナに再びサチが電柱と同化した。違うのか違うのかあぁとぶつぶつ呟いているが、実際の所は非常に的確な答えを返してくれていた。
その評価はしかし胸中で思うだけで口には出さない。代わりに染まった頬で眉を下げるサチを面白そうに見遣る。何ともからかいがいのある子だ。
どうでもいいと言われてしまっては最早返す言葉は無い。―――加えて、
顎に手を添えたアンナがサチを見ながら心中で羅列する。生真面目で、直情型で、そのくせはにかみ屋で、根がどこまでも親切。確実に自分とは真逆のタイプ。思考したアンナの口の端が意識せず緩んだ。
――――思いがけず、好ましいタイプだ。
くっくっと笑いを漏らしたアンナに、サチが恨みがましそうな視線を遣った。
「だからなんで笑うのよおぉ!?」
「ごめんごめん」
むむむと頬を膨らませるサチに片手をひらりと振る。
「そうねぇ、じゃあお詫びじゃないけど」
考えるようにして一瞬だけ視線をあさってへ巡らせ、得心したように頷いた。
「ん、後で美容雑誌見せたげるわ」
「び?」
「そ」
ほけっと小首を傾げたサチに、アンナがにっと目を細めた。
「あんた絶対そういうの見てないでしょ。色々アドバイスしてあげるわ。―――友人として」
はたと停止したサチが、ゆっくりと目を見開いていった。その面にじわじわと輝いた笑顔が滲んでくるのを認め、アンナは呆れ半分、―――してやったり感半分で笑んだ。




センジュが不意にぱちりと己が目を瞬かせたのは夕刻の事だった。更に瞬いてから、眼前すぐの畳の上に腰を降ろしているかの人に問うた。
「サッちゃんどうしたの?」
「ん?何が?」
「なんかすごい顔ニヤけてるけど」
「ニ!?」
サチがばっと己が頬を手で挟み込んだ。確かに口の端が上がっているのが分かって恥ずかしさに赤くなる。慌てて唇を引き結んだが、
「・・・・〜〜〜〜〜」
我慢しきれず、すぐへにゃりと崩れてしまった。零れるのを抑えきれないような笑顔だったので、センジュもつられて笑みが浮かんだ。
「なにかいい事でもあった?」
「んぐ?」
どうにも緩んでしまう口許を隠そうと、重ねた両手で顔下半分を覆っていたサチが目を上げた。いい事。
「・・・・・」
「ん?」
考えるように視線を上へ彷徨わせたサチにセンジュが首を傾げた。すると手で隠していても分かる程に、サチの頬がじわじわと綻び―――満面の笑みを乗せた。センジュが見開いた双眸を瞬かせる。次いで、それをひどく柔らかに細めた。ゆるりとサチの顔を覗き込む。
「・・・・なに?どしたの」
「んー」
「うん、なに?」
「ふふ。うん、えっとね」
非常に温かな雰囲気の中2人が互いの顔を見合わせる。にこにこと嬉しそうにはにかむサチが口を開いた。
「―――あたし、アンナちゃんの事すごい好きかも」
その台詞にセンジュが瞬間的に固まった。
「・・・・・は?」
「うん。なんかどう言っていいのか分かんないんだけど、すっごく好きな気がする」
恥ずかしそうに笑んだサチだが、センジュは笑顔のまま大部分凍結している。そんな顔でそんな事言われても。
訳の分からない複雑感を覚えていると、部屋の障子がすらりと開いた。
「サーチ。お風呂行くよー」
顔を覗かせたアンナにサチの表情がぱっと輝く。センジュが眉を上げた。そういえば先般の彼女の悩みは解決したのだろうか。
「行く行くっ」
「ここ濁り湯らしいわよ。温泉宿の娘としては非常に気になるトコロね」
「ほほう」
軽快に立ち上がったサチがアンナの後を追いかけ、しかしつと立ち止まった。踵を返し、胡坐をかいたセンジュの正面にすとんと膝を折る。
すると、不思議顔のセンジュの両腕をサチが唐突に掴んだ。そのまま勢いよく上下にぶんぶん振る。ますます不思議顔になったセンジュを見返したサチが、我慢の限界という風情で相好を崩した。
「あぁ、どうしようセンジュ君―――すっごくすっごく嬉しいよ!」
上気した頬でどこか困ったように、けれどひどく悶えた笑みをたたえてサチが零した。そうしてセンジュを開放したサチが今度こそ部屋を後にした。
呆気に取られたセンジュがゆるりと視線を巡らせる。やはり彼女の悩みは解決したようだ。更にそれを越えてきっとより良い結果になったのだろう、そう容易に想像出来る程サチは浮かれていた。思い出して自分の頬も緩んでくる。性分なのか、嬉しい顔を見るとこちらも嬉しくなった。
―――しかし、微かに入り混じるこの何とも言えない感情はなんだろう。無意識に眉を寄せてしまうような、そんな心持ちが片隅で頭をもたげる。
「?」
日没した外の景色を見るともなしに見、センジュが一人首を捻った。



「にしてもあんたってさぁ」
「ん?」
とたとたと廊下を歩んでいたアンナが斜めに振り返り、サチが目を向けた。
「あたしには仲良くして欲しいなんて言うくせに、どうしてあの男にはなんにも言わないわけ?そっちの方に積極的になんなさいよ」
サチがほへっと口を開け、首を戻したアンナが続けた。
「ガツンとアプローチしてけばいいのに。あんたら仲は良いんだから絶対いけ」
ガツンという鈍い音がアンナの台詞を遮った。背後を見遣ると、何故かサチが横壁に側頭部をくっつけていた、もといぶつけていた。相当痛かったと思われるのだが、サチは真っ赤な顔で陸に上がった魚よろしくぱくぱくと口を動かしている。
「なななななな。どどどどどういうこと」
「どういう事も何もっつーかどもり過ぎ。だからもっとアプローチしてけばって。すぐに告れとかってわけじゃないのよ」
「はああぁあ!?」
サチが素っ頓狂な声を上げる。片手の平をアンナに向けて真っ直ぐかざし、壁に髪を擦らせながら小刻みに首を振った。
「ちちち、ちがう違うちがうちがう。そんなんじゃないべつに仲よくないしそんなんじゃないそんなんじゃない」
サチが気持ち良いぐらいに染まった面で拙い否定を繰り返す。突然どこの異世界の話をするのかと言わんばかりの様子だ。もしかしなくてもこういう類の会話には弱いのねぇとアンナが心中で呟いた。本当に面白い子だ。
「まぁその切り崩しについてもおいおい考えていきましょ。大丈夫ダイジョブどう考えても心配ないから」
一体何に対して「心配ない」のだろうか。その語句に反比例して一抹以上の不安をサチが覚えた。もしや自分は予想外の所に飛び込みかけているのではなかろうか。
「何してんの、早く」
はっとサチが顔を上げると、眼前の階段を既に数段下ったアンナがひらひら手を振っていた。
「もー今日は余計な運動したからとっととさっぱりしたいのよ。ほらとっとと来る来る」
アンナがげんなりと零すが、最後に軽い笑みを刷いたのをサチが認めた。
1拍の間だけ足を止め、閉じた唇にほんの少し力を籠める。そうしてサチはえいやっと一歩を踏み出した。









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