名物は豪雨である。
ここに来た時、集落の者が真っ先に言ったのがそれだった。夏季にあたるこの時季には昼を過ぎる頃決まって激しい雨に見舞われると。
「……ナメてました、スイマセン」
その『激しい』を通り越して『超猛烈に激しい』雨を眺め、サチがごちた。

「こりゃ帰るのは難しそうだね」
暖簾代わりの麻布を手で除けながら、むしろ感心した顔でセンジュが言う。
「目も開けてられないわ」
同じく外を覗いたサチが、視界の一切を遮る水のカーテンを呆然と見遣った。
緩やかな傾斜を成す地面には浅く波が立っている。垂直に突き刺さる矢の如き雨で絶え間無い水飛沫が上がっていた。
「止むのを待つしかないわね」
屈めていた背を伸ばして溜息を吐く。一方のセンジュは何を思ったか片手を外へ差し出し、
「いって!!」
「ぎゃー!! 何やってんのー!!」
咄嗟に引っ込めた手を押さえセンジュが呻く。雨に触れたのは掌だけだったのだが傍目に分かる程赤い。
「うわすご…! 雨痛い!」
「何してんのあんたは!」
「確認してみようかなと…いやーすごいなぁ。ホント痛いよこれ!」
「アホ!!」
跳ねた水だけで肘までずぶ濡れになった肌。サチが慌ててハンカチを取り出した。
「ま、止むにはちょっとかかるからとりあえず座りなよ」
突然掛かった第三者の声に、二人が振り返った。
その先には、テーブルに着いた複数組の客と台詞を投げた店主、達の視線。サチがぴしりと停止した。
「す……すみません……」


屋根から水がどばどばと流れ落ちている。これでは雨樋なんて意味を成さないだろう。この気候に合わせてか庇は大きく張り出している。
そういえば建物の入り口はどこも妙に高い位置にある。最早海と呼ぶのが相応しい大地を鑑みると、その造りは賢明に違いなかった。
面白いなぁと眺めつつ、センジュは炭酸飲料を喉へ流し込んだ。本降りになる前にここに駆け込めて良かったと視線を動かした時、
「……あれ?」
ついさっきまで横にいた筈のサチが消えていた。

「これどうやって使うんですか?」
「そりゃ栞だよ。本に挟むのさ」
「栞!」
どう見ても妙な枠としか思えない太い組木。しかし表面に施された彩色は鮮やかで、そのまま置いておくだけでも飾りとして充分楽しめそうだった。
「これは何の動物の絵かしら」
「んー猿かな?」
「あぁ、それっぽい。多分そうね……わぁ!」
頭上で発された返答に、時間差で声を上げた。
「ビッ……ビックリするじゃないの! 先に何か声かけなさいよ!」
「サッちゃんこそいなくなるんなら声かけてよ。どこ行ったのかと思った」
屈んだサチを真上から覗き込んだセンジュが軽く息をつく。
この店は構えが大きい上、雨のせいで一気に混雑しだした。ぐるりと巡ってようやく見つけ出したのだ。
サチが微妙に目線を泳がせ始めたので多分「…だったっけ?」とか思っているに違いない。フラフラするなと怒られるのはいつも自分の方だが、時々彼女も突然消えたりする事がある。例えば通りがかった露店に釘付けになっている時。まさに今のように。
「なに? 雑貨?」
「えっ、あ、うんそう」
完全に目を逸らしに入っていたサチがはっとして返す。
「その、お土産でも買おうかなと思って。いっつも手紙だけだから」
西岸寺の皆に。折に触れ現状は書き送っているが、たまには何か別のものも送りたい。
目の前には種々の品物が乱雑に積んであって、形成された小山が店舗スペースの一隅を占拠していた。見た所喫茶店のようなのに何故こんなコーナーが置いてあるのかは謎だが、現にこうして眺めている客がここにいるのだから何も言えない。
「でも何を買ったらいいのか全然分かんなくて」
手近に置いてあった箱を取る。実用品とかの方がいいのだろうか。けれどそれ以前に使用方法がわからないものが多く、選択に迷った。
「お土産かぁ。うーんこれなんかどう?」
ひょいっと差し出された物を見て、反射的に後ずさった。
「きゃああ!! 何それ!!」
かまぼこ板程の古ぼけた木片に、黒ずんだカエルのようなトカゲのようなツチノコのような何かがまな板の上の鯉よろしく貼り付いている。その乾燥した胴体の真ん中付近に杭で打ち付けられている紙片は一体何の札だ。
「何だろ? じゃあこっち?」
次に差し出してきたのは大きな瓶だったが、その中身がまた壮絶だった。どろりとした緑色の液体がなみなみと注がれていて、苔のような斑模様の不純物が漂っている。その濁りの中に妙に青白い物体がチラリと見えた。あまりに液体の色が濃いのでしかとは分からなかったが、何かの手みたいに見えたのは気のせいだろうか頼む気のせいであって。
「いーやー!! 何でそんなあからさまに不吉なもんばっかり選択すんのよ!!」
「珍しい方がよくない?」
「珍しさでうちの寺呪う気か!!」
ダメだこいつに選ばせたらダメだ。皆が危ない。心から実家の危機を感じたサチは素直に店主の意見を伺う事にした。
「あ、あのう。家にお土産買おうと思ってるんですけど、何かいいものありませんか?」
商品の整理をしていた壮年の男性が振り返る。先程から用途がさっぱりな品々についてあれこれと教えてもらっていた。
「どんなのがいいんだい? 奥に食べ物もあるけど、遠い所だったらあまりおすすめできないねえ。何しろこの時季湿気が多いもんだから傷みやすくて」
「うーん、食べ物が一番喜びそうではあるけど…」
「一番喜ぶならお酒じゃないの?」
「却下っ」
センジュの提案を即座に切り捨てる。確かにそれは事実なのだが、同時にサチが頭を抱える大問題でもある。何かとかこつけて宴会して馬鹿騒ぎした後、決まって二日酔いで唸ってるうちの僧侶共って一体。
「いいんじゃない? 楽しそうで」
「あんたがそれでいいわけ!? あんたが!」
ぬけぬけと笑う頭をばしっとはたく。とにかく酒は論外。しかし、では何がいいのかと聞かれると咄嗟に思い浮かばないのが悲しい。
「う〜〜ん…それに頭数多いし…」
「何人いるんだい?」
「………」
「…うん、結構多そうだな」
二人して指折り数え始めたのに店主が納得した。
「じゃあ置物でも買うかい?」
置物。無難でいいかもしれない。どこかにひとつ置いといてもらえばいいし、消え物なんてあそこじゃ一瞬の命だし。
「これ置物だよ」
「置物なの!? つーかなんでそんなにそれをすすめる!?」
先程のナニかが浮いた緑色の瓶を抱え見せるセンジュ。そのへらへら顔の裏に悪意があるのではと穿ってしまうぐらい凶悪なチョイスである。
「あんたヒトのお土産だと思って好き勝手に―――」
と、吊り上げた眦がふっと見開かれた。センジュが瞬く。
一拍、二拍と止まったサチが、店主に向き直った。
「―――お守りみたいなもの、ありますか?」
店主がにっと笑い、傍らの引き戸に手を掛けた。
「額に貼るもの首に下げるもの服に縫いつけるもの、いろいろあるけどお嬢ちゃんにはこれかな?」
カウンターに置かれたのは、樹木を模った彫り物。
土台からいくつもの根が絡み合い、それらが縒り集まった太い幹がなだらかな曲線を描きながら天へ伸びていた。広がる細身の枝は末端まで葉で埋まっている。
両手に収まるぐらいの彫像は、深みのある鳶色が荘厳さを醸し出しているのに、素材のせいか自然な温かみがある。
「こいつの起源は結構古くてね、降り注ぐ災いから守ってくれるって木なんだよ。値段もお手頃、ここいらの家じゃどこにだってある家内安全の置物」
「これにします!」
センジュがちょっと目を丸くする。あんなに迷っていたのにずいぶんと早い決断だ。
サチは一遍で気に入ったようで、手の上でためつすがめつしている。倣ってセンジュも横から眺めてみた。
「んー…この下で寝たら気持ち良さそうだなあ」
何気ないセンジュの一言にサチがぱちりと瞬いた。…何だかとても『らしい』台詞だ。
「なに?」
「別に。じゃあこれ下さい」
「はいよ。家にお守り買うなんて感心だな」
「あ、いえ。というか」
返答が濁った。僅かに考え込む。
「……家にあったお守り、今私のところにあるので」
センジュからへぇ、と声が漏れる。
「そんなのあったんだ。知らなかった」
返ってくるのは、ええまあ、という生返事。
「偉い偉い。家族想いだねぇ」
カウンターから伸びてきた店主の手がぐしゃぐしゃとサチの頭をかき混ぜる。
ほけっとしたサチは、かぞく、と呟き、黙り込んだ。
店主が包装材を引っ張り出す間、ただ並んで突っ立っていたが、そのうち俯いた頭が微かに首肯したのをセンジュは見逃さなかった。
「ほいお待たせ…おや、お嬢ちゃんは笑うと一層可愛いねぇ」
サチが固まるのと、センジュがさっと覗き込もうとしたのと、その顎に迅速な一撃が見舞われるまでの一連の流れは淀みなかった。
「うう、なんで…」
顎を摩るセンジュに、サチはつんと顔を背けている。
その様子を可笑しそうに眺めている店主が袋を差し出した。
「さあ、じゃあ最後の締めに裏へ行きな」
「え」
裏? 店主が後ろの窓を指差した。
「そいつはな、あそこで仕上げをして完成なんだ。ちょうど雨も上がった、行ってきな」


「うわぁ…」
溜息。それしか出ない。
店の裏手にあったのは、大きな大きな樹。 無数に生えた何本もの根が絡み合ってどっしりとした幹を形成し、天へと――。
「なるほど、この樹の姿を写したものだったんだね」
古木の幹は両手を広げてもとても足りない程太い。
百年ではとても間に合いそうにない年数、ここに坐しているのであろう。枯れたように煤けた肌が老齢である事を物語っていたのだが、無数に生え出でた青葉は実に瑞々しい。
驚く事に、先刻の豪雨にも関わらず太い幹の周囲はほとんど濡れていなかった。
これは守り神として崇められるのも最もだな、とセンジュが上を仰いだ。葉の隙間から漏れる木漏れ日が柔らかく眼を刺す。
「さて、サッちゃん?」
感じ入った体で上空を眺めていたサチが、気が付いたようにセンジュを見た。
「どうぞ?」
「どうぞって…あぁ、」
『―――樹の下でそいつに祈りを込めるんだ。そうしたら君のお守りの完成だ』
さあ行った行った、と送り出した店主の言葉を思い返し、そうなんだけど、と呟く。
戸惑い顔のサチをよそに、センジュは太い根元にすとんと腰を下ろした。
「待ってるから、のんびりやるといいよ」
そのまま幹に背を預けて、瞼を閉じてしまった。
「………のんびりやれって…」
だから具体的に、どうすれば。知らず途方に暮れてしまい、意味も無く辺りを見回す。
道の向こうから老婆が歩いてきた。樹の所までやってくると、幹に手を当てて何事か呟いている。
やがて顔を上げた老婆と、目が合った。それまでじっと見詰めてしまっていたのに気が付いて、慌てて謝罪する。女性は気にした風も無く微笑んだ。
「孫の風邪が治ったから、報告に来てたのよ」
「報告、ですか?」
ええそう、と幹を撫でる。
「結構高い熱が出てね。一昨日、熱がなかなか下がらなくて、ってここで話したの。今朝になってやっと引いてきたから、その報告」
女性が帰っていくのと入れ替わりに、子どもが三人、きゃあきゃあと騒ぎながらやってきた。
ぐるりと樹の周りを走り回って、一人の子が地面に落ちていた枝を走り抜けざま器用に掴んだ。
「はしらさまみーつけた!」
枝を掲げ、追いかけっこをしながら駆けてゆく。元気一杯の子らは泥水が跳ねようが一向にお構いなしだ。
はしらさま、というのは『柱様』? ――この樹の事だろうか。
「………」
サチは樹の中心から離れ、全体が見渡せる位置まで下がった。
長い枝が広がって、地に大きな陰を落としている。その一方、陰を作っている葉は雨露に濡れ、きらきらと陽光を弾いている。そよりと風が吹いて、細かな光が空気に散った。
しばし立ち尽くしたサチは、やがてほてほてと樹の下に戻ってきた。
早、軽い寝息を立てているセンジュに呆れた視線を送り、やや斜めに向かい合う根元に座った。
袋の中には買い求めた彫り物と、その隙間に巻いた布が詰められていた。緩衝材だろうが、敢えて彫像を包まず添えてあるだけなのは、曰く『仕上げ』をしてから使えという事だろう。
取り出した彫像を膝に置いて、緑の天井を見上げた。
古来よりおわす鎮守の樹。しかしこの守りの神は、畏敬の対象というよりは集落の生活に穏やかに溶け込んでいるようだった。
祈りを込める、なんて、どうしたら良いのか分からないけれど。
傍の仏に倣った訳ではないが、目を閉じる。

…密やかな文言の流れに、ふっと意識が覚醒した。
ああこれは―――僕の。
自然にサチの口をついて出ていたのは、家で毎日唱えていた陀羅尼だ。幼い頃から親しんでいる呪文、諳んじるのは訳も無く、最早癖に近い。
これが祈る言葉となるのかは分からないけれど。半分無意識に紡ぎ始めた文言に、想いをのせる。
唱える経文に対して、頭の中を巡る光景は堅苦しさとは程遠かった。けれど、多分それでいいのだろうと結論した。
この地を見守る神様には、角張った言葉は似合わない―――それよりも、素直な語り掛けを。
育った西岸寺。優しい育ての親。僧籍に入っているとはとても思えないけれど、気の良い組員達―――
遠い所にいるけれど。皆の顔も見られないけれど。
祈る。願う。想う。
健やかに。健やかに。

『かぞく』

健やかに。

―――とても心地の良い感覚が流れ込んでくる。
誰かの「心」がここまではっきりと感じられるのは初めてかもしれない。
純粋さゆえか、場所ゆえか、彼女ゆえ、なのか。
温かで、包み込むような心。浸かっていたくなる―――
薄ら目を開けると、幾度目かの陀羅尼を唱え終えたサチが、彫像をそっと持ち上げた所だった。
大切そうに撫でると、そのまま―――口づけを落とした。

「……えっ?」
顔を上げたサチがきょとんとする。
「どうしたの? センジュ君」
いつの間にやら目を覚ましたらしいセンジュが、こっちを見ていた。が。
「……………………」
「…どうしたの? センジュ君」
サチは目を瞬かせ、同じ台詞を繰り返した。
何しろセンジュは口をぱくぱくさせるばかりで、一言も発しないのだ。
「…本当にどうしたの? 変な夢でも見た?」
「………………うん、そう、うん」
「…どんな?」
すると、センジュは首を振り切れそうな程振った。何なのこの反応。
「…よっぽどやましい夢でも見たの?」
「ちっ………だっ」
誰のせいだと…っ、と心中で叫んだが、声にはならなかった。
こ、ここまで届くか普通。心臓が落ち着かない。熱い。
「……あ――…と、い、行こうか、そろそろ」
「……ええ」
待たせて悪かったわね、というサチは明らかに胡乱気だ。だが、とてもではないがその疑問には答えられない。
「ねえ、なんでさっきからこっち見ないの」
「いや、そんなことは」
「あるわよね。ねえちょっと、なんなのよ、ねえ」
顔を寄せてくるサチに、思い切り顔を背けるセンジュ。無理! 無理だから!
「お二人さん、帰るんなら今のうちだぞー!」
窓越しに喫茶店の店主が手を振っていた。
「もうすぐまた降ってくるぞー!」
センジュとサチが口を開け、揃って空を見た。雲は大分晴れて、青色が大部分を占めている。
「もう一度降る。絶対だ。賭けてもいい」
自信たっぷりの店主を二人がまじまじと見、また上空を見遣った。
「……急いで帰ります!」
「そうしな」
断言したサチに店主がよしよしと頷いた。土地の人間の御託宣は余所者にとっての絶対的指針である。
礼を投げて踵を返した。駆け出しつつ、一歩遅れて付いてくるセンジュを振り返る。
「………」
「………い、いいお土産あって良かったね」
未だ投げかけられる不審な視線は、自分の態度のせいだとは分かっているのだがどうにも出来ない。
苦し紛れの台詞だったが、意外にも上手く彼女の気は逸れた。
「そう! ホントいいのが見付かったわ!」
サチは右手の袋を軽く振り上げた。
あの僧侶たちは絶対腹に入るものが良いと言うだろう。届いた包みを開いた時の一同の反応がまざまざと目に浮かぶ。
まあ、彼らの嗜好に沿ったものはそのうちという事で。これは、気持ち。
「うん、いい感じ。―――同じ木製だし」
「ん?」
センジュが首を傾げる。再度振り向いたサチが、少し笑った。

「二本の足で走りはしないけどね」

水溜りに沢山の綺麗な空が映っている。雨上りの風が吹いて、鏡像の晴天を揺らした。










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